お詫びと訂正
お世話になっております。ご案内いたしました新記事
ZIPANG-10 TOKIO 2020 イタリア大使が10月18日(金)新潟県新発田市の長徳寺に来訪し、 忠臣蔵・堀部安兵衛のお墓にご納骨
のURLが間違っており大変失礼をいたしました。誠に申し訳ありませんでした。
衷心よりお詫びして訂正いたします。
大変お手数をお掛け致しますが、下記の「URL」より再度ご高覧くださいませ。
https://tokyo2020-10.themedia.jp
ZIPANG TOKIO 2020 編集局 編集長 早川昌直(鎹八咫烏)
イタリア大使館の庭園の石碑を眺める大使
イタリア大使館での法要
長徳寺 堀部安兵衛 墳墓
葛飾北斎は、清水一学と共に吉良上野介を守ろうとした米沢藩上杉家の
家臣小林平八郎の娘の息子であるとの伝説が遺されているが、その真実は定かではない・・・
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-10 TOKIO 2020 イタリア大使が10月18日(金)新潟県新発田市の長徳寺に来訪し、 忠臣蔵・堀部安兵衛のお墓にご納骨
https://tokyo2020-10.themedia.jp
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
狂歌の名人 南畝没後200年
葛飾北斎画 富嶽図(ふがくず) 太田記念美術館蔵
画像は下記のURLよりご覧ください
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/43257763/
狂歌の名人「蜀山人(しょくさんじん)」こと大田南畝(おおたなんぽ)(1749~1823)は、平賀源内や山東京伝、版元の蔦屋重三郎や浮世絵師の喜多川歌麿などとも交流のある、華やかな江戸の出版界の中心人物であり、現代でも落語や時代小説などに登場します。
幕臣としても有能で、御家人という低い身分ながら豊富な知識と能力によって登用され、重要な任務をこなしていきます。
なによりも、同時代の事件・風聞から歴史的な典籍まで、目にしたあらゆる事物を書き残した功績は大きく、南畝の記録がなければ埋もれてしまった事柄も多かったと考えられます。
南畝没後200年記念となる本展では、南畝自筆の書物、版本や肉筆画、版画など約180点を通して、幅広く、奥深い南畝の業績を、7つの章で紹介します。
さらに、南畝の生涯の節目ごとに彼を支えた知友で、たばこ屋でもあった平秩東作(へずつとうさく)と蘭奢亭薫(らんじゃていかおる)の紹介も交え、江戸の知の巨人の姿を見つめます。
0コメント