ZIPANG-9 TOKIO 2020復活の神様とともに【三柱神社】(その1)

       ~復活の神様とともに~




          令和の大改修


                  どうぞ拝殿へ



三柱神社は、
「西国一の強者」と称された百戦錬磨の初代柳川藩主 立花宗茂公、
岳父 戸次道雪公、宗茂の妻 誾千代姫の三神を祀ったことから三柱神社と称します。


宗茂公は、関ヶ原の戦いで一度は柳川を去ることとなりましたが、
その後に功績が認められ再び柳川藩主に返り咲きました。


元いた領地に戻ることができたのは、数々の大名の中で宗茂公ただ一人
だったことから、「復活の神様」として必勝・成就・復活の社といった
ご利益を持ち、崇敬されています。


三柱神社について


火災に見舞われながらも、奇跡的に残った本殿。


200年あり続けた建物を、次の100年も大切に受け継いでいくための令和の大改修に現在取り組んでおります。

令和7年(2025年)は御鎮座200年の記念の年にあたり、令和5年より本殿及び水垣修復工事(1期3年)その後唐門脇廊復元工事(1期3年)の事業完遂を目指します。


柳川 三柱神社 三神
初代柳川藩主 立花宗茂公(右)、岳父 戸次道雪公(中央)、宗茂室 誾千代姫(左)


御祭神について

立花家は江戸時代を通じて柳川の地を治めていた大名家であり、中でも初代藩主の宗茂公は、あの豊臣秀吉をして「九州の一物」と言わしめた大名です。


宗茂公は、天下分け目の関ヶ原の戦いで西軍についたことから領地を追われ、一度は柳川を去ることとなりましたが、その後に功績が認められ元いた領地に戻ることができました。元いた領地に戻ることができたのは、数々の大名のなかで宗茂公ただひとりだったことから、「復活の神様」として必勝・成就・復活の社といったご利益を持ち、多くの方に崇敬されています。


身代(みがわりまもり)

【戸次道雪】べっきどうせつ

御祭神 道雪公は様々な逸話が残っております
雷が鳴り、稲妻が襲ってきたところを、道雪公は愛刀千鳥を振りかざして稲妻を一刀両断したと言う。


そのため、下半身不随の後遺症が残ったものの、一命を取り留めた事から「雷神の化身」と噂され、以後の合戦では6人担ぎの「輿」に乗って指揮を執り、鉄砲や愛刀・雷切を振るい、「鬼道雪」と呼ばれた。


歴史

その歴史は古く、天明3年(1783年)、七代藩主 立花鑑通公が柳川城の三の丸 長久寺境内に社を建立し、道雪公を奉祀したことが起源となります。文政3年(1820年)日吉神社近くに遷座され、「唯一宮」と称したのち、「梅岳社」に合祀した時から「三柱宮」と改称されました。


現在の場所に移ったのは、文政8年(1825年)のこと。九代藩主 立花鑑賢公が藩祖をお祀りするには小さいのではないかと考え、ご先祖様のために現在の地を境内として社殿の建立を計画され、翌年の旧八月十六日に御神霊が遷座されました。これより、現在の三柱神社となりました。



柳川藩をあげて建てられた三柱神社

建てられた神社の拝殿、楼門、廻廊等の屋根は全て赤銅で葺き、楼門は特に精巧な作りになっており、藩をあげての建設工事だったことがわかります。


前述の資料によりますと、「この新しいお宮のために、大工が日光東照宮・厳島神社へ社殿の建築様式を視察しに行き、その構造のいいところを取り合わせて、創建当時の形に作った」ということが記されています。


実際に、火災に見舞われる前の三柱神社は回廊があり、本殿があるところは、厳島神社を参考に、楼門と唐門は日光東照宮を参考にされていました。



立花家について



立花宗茂公が柳川城主となったのは、今からおよそ400年前のことです。それ以来、立花家は柳川と共に歴史を紡いでまいりました。現在、三柱神社は立花家18代にあたる立花誠太郎が宮司をつとめています。


そのほかにも、藩主の別邸として誕生し、江戸時代から歴史を紡ぐ柳川藩主立花邸 御花、明治の頃の伯爵家農場の歴史を受け継ぐみかん農園「橘香園」等、立花家の末裔が筆頭となり様々な方の力を借りて、守ってきました。


立花家は、廃藩置県や華族制度の廃止等時代の波に揉まれながらも、「地元に根差し続ける」というスタイルをとってきました。そんな歴史があるからこそ、現在も立花家は柳川に根を張り、先祖と子孫との対話を続けながら、歴史文化を未来に向けて繋いでいます。



悠久と続く日本文化の中で、今、私共の神社が求められていることは、地元の皆様の拠り所であることは元より、信仰の発信、柳川の文化を次世代に繋ぐ拠点となることだと考えております。


三柱神社は、江戸時代より柳川の街へ魔を寄せ付けない役割を担って参りました。
観光地となった今、三柱神社は柳川の玄関口として、多くのお客様をお迎えする役割を果たして参りたいと思っております。


私は、柳川を観光地にするためにその生涯をかけて尽力した祖父立花家16代当主の和雄の想いを継ぎ、三柱神社の宮司となりました。
「心のよりどころ」であるこの大切な本殿を本来の姿へと復元し、神社の使命として誠心誠意取り組んでまいります。

                         宮司 立花 誠太郎




【三柱神社】気になる情報


〈柳川雛祭りさげもんめぐり〉

当社では省耕園(社務所)に展示を致しております。3月3日までどなたでもご覧頂けます



『さげもん』

親から子へ 子から孫へ受け継がれ、地域みんなで初節句を祝う風習が続き、柳川の心温まる思いやりの心と地域の絆を大切にしています。



『さげもん』とは

江戸末期頃から、女の子が生まれると初節句のお祝いにと古着の端切れで小物を作って贈ったのがはじまりと言われています。1尺3寸(約40㎝)の竹の輪に赤布を巻き、7個7列の49個、中央に柳川まりを2個下げて全部で51個。人生50年と言われた時代に、1年でも長生きしてもらいたいという願いが込められています。



〈柳川の守神とは〉



宗茂公以下三千の軍団が関ヶ原から引き上げる時、豊後に上陸したものの既に九州は東軍の支配下。無駄な戦を避け山中深く入り柳河を目指すが途中道に迷う。

そこに、真っ白の狐が現れて道案内をして、無事に柳河城下へ帰還した。
以来、柳川の守神として大切に祀られている。と、旧柳河藩史にある。

                                   (立花 民雄)


アクセス

西鉄天神大牟田線「西鉄柳川駅」より徒歩5分。


次回に続く・・・



余滴

本日の

紫式部 歌

めづらしき 光さしそふ さかづきは

もちながらこそ ちよもめぐらめ



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

三柱神社 〒832-0826 福岡県柳川市三橋町高畑町323-1 電話:0944-72-3883

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


中山道の春はお雛様とともにやって来る!


女城主の里 いわむら

岐阜県の東南、日本のほぼ真ん中に位置し、自然豊かで歴史の足跡が色濃く残る恵那市。
市街地から車で約20分の岩村町は、戦国の世に翻弄されながら必死に生きた、おんな城主の逸話が残ります。


岐阜未来遺産「岩村」


築城から800年あまり、日本三大山城の一つで、日本百名城にも選ばれている岩村城は、織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつや」が善政を敷き、最後まで領民を守ったと伝えられ ていることから「女城主の里」と呼ばれています。 彼女も愛したであろう恵那の山々と岩村のまち。

ここには、古くから伝わる日本の美しさがあります。


国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された岩村城下町

明知鉄道岩村駅から岩村城跡までをつなぐ本通りに広がる女城主ゆかりの城下町。全長1.3kmの古い町並み周辺には当時の面影を残す商家やなまこ壁、旧家が今も佇みます。


岩村城下のひなまつり


国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている岩村本通りとその周辺約 110 箇所に、
江戸時代から藩主邸に伝わるおひな様や装飾が見事な御殿雛、色鮮やかな土雛、住民手作り のおひな様など多種多彩なおひなさま総数約 3,500 体が展示・公開される地域最大級のひなまつり。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 「中山道の春はお雛様とともにやって来る!大湫宿~岩村町(大井宿)~妻籠宿」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5662725



みちのくひなまつり発祥の地より
谷地ひなまつりに秘められたお婆ちゃんたちの思いとは・・・



雛と紅花の里 河北町

江戸中期以降、最上紅花の集散がこの地で盛んに行われました。
町には、天正年間(1573年~1592年)の紅の生産を物語る資料が残っており、江戸時代も寛政年間(1789年~1801年)ごろから安政年間(1854年~1860年)あたりまでは、いわゆる最上千駄(「紅もち」生産が一駄約120kg×馬1000頭)の時代で、全国生産の50%をこの村山地方で生産していました。


紅花畑


紅花は古代中国や、朝鮮半島から5~6世紀頃渡来したとされていましたが、最近では奈良桜井市の纏向遺跡(弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡)から大規模な紅花染色が行われたと推測される側溝跡が発見され、その渡来時期が大幅に見直される事態になりつつあるようです。当初は栽培地が都周辺に限られていたものが、やがて全国各地に拡がり、次第に雪深い東北地方等でも栽培されるようになりました。


紅花は 岩手県以南の日本全国で栽培されたことになりますが、特にこの村山盆地周辺が全国生産の半数を占めるようになったのは、土地が紅花栽培に適しており、換金作物として重宝されたためといわれています。


この町には最盛期に20軒に及ぶ紅花荷主問屋があり、更に仲買人の花買仲間の目早やサンベと呼ばれる人達が25人から30人を数え、山形市につぐ紅花の一大集散地でありました。


このようにして生産された紅花は、京都や大阪へ出荷されました。寛文年間(1661年~ 1673年)幕府の命を受けた河村瑞賢の差配などもあって、江戸・大阪への物資の輸送が最上川を利用した酒田出しになると、産物の流れがおのずと関西方面に移り、京都・大阪には近江商人や伊勢商人が定住し、最上の商人たちも最上店や谷地店と呼ばれるいわば出張店を持つようになりました。


当地方の物産である米・紅花・大豆・青苧・漆・真綿・油などを移出した、その帰り荷として、関西方面から呉服地・繰り綿・瀬戸物・塩・砂糖・小間物等が運び込まれました。


特に調度品・絵画・書籍・京人形などの美術工芸品が数多く移入されました。現在貴重な文化財として町内に数多く残る雛人形もまた、その一つでした。


河北町ひなまつり 「谷地ひな市」


谷地ひな市の推移

天正時代(1573年~1591年)の頃、谷地城主白鳥十郎長久公は谷地地区に毎月十八もの市を設け大変な賑わいをみせていました。その中に北口六斎といい、二と六の付く日に市が設けられていました。3月2日に雛人形や節句の食材・用品が軒を連らねて行われるようになってから、いつしか「節句市」「ひな市」と呼ばれ、近郷近在の人出が盛況をみるようになりました。


その理由は・・・


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~雛と紅花の里 河北町~ 「谷地ひなまつりに秘められたお婆ちゃんたちの思いとは・・・みちのくひなまつり発祥の地より(第二話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5901235



『宿場の雛まつり』
花巻市大迫町で290年前の雛まつり復活!


おひなさん、おみせってくなんせ❣


花巻市大迫町は、昔、絹生産が盛んで、京都と取引を行っておりました。 そのため、享保雛や次郎左衛門雛など、江戸時代から明治時代にかけて作られた雛人形が、旧家や商家に多く残されている。


昔「おひなさん、おみせってくなんせ」と言って子供たちが家々の雛人形を見て歩いたそうだが、 そんな風習を今に復活させたのが大迫町の「宿場の雛まつり」である。


花巻市大迫交流活性化センターをメイン会場に、今年は町内29カ所の商店等に、 歴史雛から現代雛までいろいろなお雛様が飾られている。


大迫町では節句の時期に合わせ、あねっこ市(まち)が開かれ、以前は農閑期で手の空いた農家の娘さんたちが着飾って市に出掛けた。あねっこ(娘さん)とあんこ(男性)が出会う数少ないお見合いの場になっていたようだ。


市にあわせて商人も各地から集まり、雛人形や節句用具などが売られた。南部葉たばこや製糸業で栄えた町だったことから、贅沢品ともいえる雛人形が売れる土地柄だったのであろう。多くの雛人形が残っている理由としてうなずける。


町の子どもたちも「お雛様お見しぇってくなんせ」と言いながら、各家々を回ってお菓子をもらい、着物の袂に入れて歩く姿も見られたそうだ。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「『宿場の雛まつり』昔『おひなさん、おみせってくなんせ』と言って子供たちが家々の雛人形を見て歩いた。花巻市大迫町で290年前の雛まつり復活!」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3766265



※現在、2400件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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