2024年7月26日原子力規制委員会は、日本原子力発電敦賀原発2号機の審査会合で、原子炉
直下に活断層があることを否定できず、原発の新規制基準に適合しないと結論付けた。
敦賀港だからこそ
伝えられる「命」と「平和」
敦賀港は、1920年代にポーランド孤児、
1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港。
1940(昭和15)年~1941(昭和16)年、ユダヤ難民はナチス・ドイツの迫害等から逃れるため、リトアニアのカウナス領事代理・杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を携え、リトアニアからウラジオストクを経て、敦賀港に上陸しました。苦難の旅路を経て敦賀に降り立った彼らは、敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」と後に語っています。
展示では、彼らが敦賀に上陸するまでの経緯や上陸当時の状況、日本から旅立つまでの出来事を紹介します。敦賀上陸当時のユダヤ難民に関する市民証言のほか、命のビザのレプリカ、ユダヤ難民が残した時計などを展示しています。
命のビザ
ユダヤ難民命のつながり
杉原千畝領事代理が発給した日本通過ビザのリストや敦賀に上陸した人々のビザなどの
デジタル化資料を見ることができます。
当時の建物を復元した資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」では、
孤児と難民が上陸した歴史、彼らに手を差し伸べた人々のこと、
そして敦賀のまちの人たちが迎え入れた様子を後世に伝えます
それでは、「命」の大切さと「平和」の尊さを、発信し続けておられる
人道の港 敦賀ムゼウムのある敦賀市・敦賀港から順にご紹介いたします…
北陸の誇る天然の良港・敦賀港
本州の日本海側沿岸のほぼ中央に位置する福井県敦賀市は、天然の良港・敦賀港を擁し、
約1600年の歴史を持つ港であり、また、その歴史において、大陸への窓口という重要な役割を果たしてきた港です。
現在の敦賀港「敦賀市水産卸売市場」紫式部もきっと新鮮な魚介類を食べた…❣
いや、もといお召し上がりになられたのでしょうね~道長にも送ったのかな⁇
「松原客館」が置かれたという気比の松原
紫式部も歩いた・・・⁉ 気比の松原
雪の気比の松原
紫式部は越前での初雪をこんな風に感じたのでした(写真はイメージ)
暦に、初雪降ると書きつけたる日、
目に近き日野岳(ひのたけ)といふ山の雪、いと深く見やらるれば
ここにかく 日野の杉むら埋(うづ)む雪
小塩(をしお)の松に 今日(きやう)やまがへる
古くは平安時代初頭、渤海から使者を迎え入れもてなす施設NHK大河ドラマ光る君で登場した「松原客館」が置かれ、古くから大陸との交流拠点として栄えてきました。この施設は、渤海との交流を重視していた日本にとって大変重要な役割を担った施設であったといわれています。
「松原客館」は神官が管理を任されていたので氣比神宮の近くにあったという説もあり…
(巻末の地図にて位置ご確認ください。)
かって旧敦賀港駅舎は、氣比神宮から敦賀港に向かって歩いていくとありました。
現在は鉄道資料館となっています。敦賀港の歴史を見続けてきた貴重な建築物なのです。
どこかで出会ったような懐かしさの薫るインテリアです。是非お出かけください。
(巻末の地図にて位置ご確認ください。)
敦賀港(やや異なるかもしれませんが、当時のイメージとして…)
明治から昭和初期にかけて、敦賀港はシベリア鉄道を経由してヨーロッパ各都市と日本を結ぶ国際港としての役割を担いました。
国際港として発展した敦賀港は、1920年代にロシア革命の動乱によりシベリアで家族を失ったポーランド孤児が、1940年代には杉原千畝氏の発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港であり、当時のまちのひとたちが彼らを温かく迎え入れた「人道の港」としての歴史があります。
平成20年にオープンした「人道の港 敦賀ムゼウム」
これらの歴史を後世に伝える資料館として、平成20(2008)年3月にオープンした人道の港 敦賀ムゼウムには、開館以降、国内外から多くの方にお越しいただき、ポーランド孤児や
ユダヤ難民の関係者の皆様とさまざまな交流を深めてまいりました。
令和2年に移転新築した「人道の港 敦賀ムゼウム」
「人道の港 敦賀ムゼウム」反対方向からの外観
「人道の港 敦賀ムゼウム」ブルーライトアップ
そして、ポーランド孤児上陸100周年、命のビザ発給80周年を迎えた令和2(2020)年11月、展示内容をより充実させ、施設規模を拡大した新たな人道の港 敦賀ムゼウムがリニューアルオープンしました。
新しい建物の外観は、大正から昭和初期に敦賀港にあった敦賀港駅や税関旅具検査所などの4棟の建物を当時の位置に復元し、往時の敦賀港の雰囲気を感じてとっていただけます。また、館内には、関係者から寄贈いただた新資料の展示や、新たにシアターやアニメーション展示を設け、より展示内容を充実させております。
人道の港 敦賀ムゼウム 常設展示
上記の画像をクリックすると拡大できます。
常設展示
シアター
常設展示の導入として、なぜポーランド孤児とユダヤ難民が敦賀港に上陸したのか、「人道の港敦賀」にまつわるエピソード映像を200インチの大型スクリーンにて上映します(約7分30秒)。 人道の港と呼ばれる所以となったポーランド孤児、ユダヤ難民について、時代背景や敦賀に上陸した経緯などをわかりやすく紹介します。また救われた人々やその子孫などと現代に続く交流を伝えます。
映像ライブラリー
ポーランド孤児、ユダヤ難民に関する映像作品や人道の港敦賀へ寄せられたメッセージ映像などをご覧いただけます。
映像ライブラリー収録タイトル一覧
タイトル 制作年 時間 内容
100年の絆 2020制作 約23分 極寒のシベリアから救出され、敦賀に辿り着いたポーランドの子どもたち。彼らにとって日本はどのような場所だったのか―。時を経ても色褪せることない想いと絆。
あるポーランド孤児の物語 2020制作 約5分 あるポーランド孤児が語る、「敦賀」上陸までの過酷な旅と、日本各地での心温まるストーリー。成長した少年が抱く想いとは-。
あるユダヤ人家族の物語 2020制作 約5分 迫害から逃れるため、ビザの発給を待ち続けたユダヤ人家族が初めて目にした「敦賀」と、そこで出会った人々。過酷な運命の先に彼らが抱く想いとは―。
敦賀の思い出 2020制作 約9分 日本通過ビザを携え家族で米国へ渡ったシルビア・スモーラーさんが両親の人生を題材に著した歴史小説。敦賀での滞在を描いたパートを本人に心を込めて朗読いただきました。
遥かなる記憶 2017制作 約17分 過酷な運命に翻弄されるユダヤ難民が、ウラジオストクから敦賀までの旅の途中で一人の日本人に託した7枚の顔写真。その裏に書かれたメッセージとは―。
杉原サバイバー・レオメラメドのメッセージ 2015制作 約19分 73年ぶりに敦賀を訪れた杉原ビザ受給者のひとり、レオ・メラメド氏との交流の様子などを紹介しています。
ポーランド共和国の外交官
~ダデウシュ・ロメル~ 2015制作 約14分 初代駐日ポーランド大使となった外交官タデウシュ・ロメル。敦賀に上陸した、ポーランド国籍のユダヤ難民を救うために奔走した彼の足跡をたどります。
人道の港敦賀へのメッセージ 2013制作 - カウナスで発給された日本通過ビザを携え敦賀に上陸した本人や子孫から寄せられたメッセージをご覧いただけます。
繋がれた命 2011制作 約26分 敦賀に上陸したユダヤ難民の孫ベンジャミン・マンスキーさんが、数十年の時を経て祖父の足跡を辿ります。
命のビザを求めて 2009制作 約13分 米国在住のユダヤ難民のひとり、サムエル・マンスキーさんを敦賀市長(当時)が訪問した際の面談の様子を紹介しています。
ヘブンと呼ばれて 2008制作 約15分 「命のビザ」を携えて敦賀港に降り立ったユダヤ難民3人の軌跡や当時の敦賀の人たちとの温かい交流を紹介しています。
みなとと共に 1969制作 約29分 敦賀港開港70周年を記念して製作された記録映画。昭和7~13年頃の敦賀港や市内の賑やかな様子が見て取れます。
ロシア革命のシベリアで家族を失ったポーランドの子どもたちは、日本赤十字社などの迅速な活動により救済されました。敦賀に上陸した孤児たちの様子や各地での暮らし、そしてポーランドへの帰国とその後の出来事を紹介します。孤児が残した日記などの史料のほか、ポーランド孤児来日100周年を記念して制作された大型の陶板レリーフも展示しています。
ユダヤ難民に関する市民証言
敦賀に上陸したユダヤ難民たちを当時の敦賀市民は温かく迎え入れました。日本海地誌調査研究会が収集した敦賀上陸当時の詳しい状況に関する市民証言を紹介しています。
交流コーナー
敦賀に上陸した人々のその後の生活のほか、再び敦賀の地を訪れたご本人やご家族、関係国との交流を映像などで紹介します。
新たな始まり
ポーランド孤児、ユダヤ難民のその後の生活や、ご本人や子孫たち、関係国との交流を紹介します。
命と平和のメッセージ
日本地図、世界地図型のボードには、来館された方が展示を見終わった後に記したメッセージが残されています。ご来館いただき、ぜひあなたのメッセージもご記入ください。
人道の港 敦賀ムゼウムでは、
敦賀港だからこそ伝えられる「命」の大切さと「平和」の尊さを、
これからも発信し続けることでしょう。
人道の港 敦賀ムゼウム 周辺マップ
<ムゼウムとはポーランド語で「資料館」という意味があります>
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
人道の港 敦賀ムゼウム 〒914-0072 福井県敦賀市金ケ崎町23-1 TEL 0770-37-1035
公益社団法人 福井県観光連盟
〒910-0004 福井県福井市宝永2丁目4-10 福井県宝永分庁舎2階
Mail:info@fukuioyado.com
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
平和の灯とは
広島市の平和記念公園内にあり、東京大学教授(当時)丹下健三氏が設計したものです。
広島平和の灯り(前) 奥には広島平和記念資料館 本館
台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています。
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
各種行事において平和のシンボルとして採火されています。
背景に見えるのが同氏設計による広島平和記念資料館です。
平和への取組の背景と基本的な考え方
1 広島市の復興 ―広島平和記念都市建設法―
原爆により壊滅した広島市の復興を促進するため、憲法第95条に基づく特別法として、広島平和記念都市建設法が昭和24年(1949年)8月6日に公布・施行されました。
同法は、「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。」(第1条)と、広島市の都市建設の理念を掲げています。
この法律ができたことにより、広島市を世界平和のシンボルとして、国をあげて建設することが位置付けられました。
そして、広島市の都市づくりの方向性の決定、国からの援助の増大など、広島の復興や都市づくりに大きな役割を果たしました。
2 「世界に輝く平和のまち」の実現に向けて
77年前、広島市は原子爆弾によって壊滅的な打撃を受け、多くの人命と街が失われました。辛うじて生き残った人々は悲しみを乗り越え、75年間草木も生えぬと言われた廃墟の中から、たゆまぬ努力により、また、国内外からの温かい援助も受けて、めざましい復興を遂げました。
広島市は、「平和の象徴」、「希望の象徴」として、世界の人々から認められています。それは、被爆地ヒロシマとしての高い知名度だけでなく、世界の人々が、廃墟からの復興を評価し、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けている都市であることを知っていることに他なりません。
人類史上最初の被爆都市である広島市は、平和を願い、平和都市の建設を進めてきた先人の努力をしっかりと受け継ぎ、ヒロシマの願いである核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指す「まち」であり続けなければなりません。
そのためには、市民一人一人が被爆者自身の被爆体験や平和への思いを引き継ぎ、共有し、その思いを世界に広げ、各国の為政者が共感するようにしていく必要があります。
長崎県 ローマ教皇の祈り・・・
長崎県 (知事:中村法道) は、ローマ教皇が昨年来日され、被爆地である広島・長崎で世界に向けて平和へのメッセージが発信されました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020 広島市~平和の灯~日本と世界のより良い未来のため、「G7広島サミット」の成功を❣
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/40845256/
高野山から世界平和を祈る
高野山から世界の平和を考え、祈る。
World Peace Gathering in KoyasanではCompaSSが執り行っているPeace Mandalaを、弘法大師が金剛峯寺にて行った萬燈萬華会をイメージした高野山式にアップデートして祈りを捧げます。
世界中の僧侶が集まり世界平和へ祈りを捧げる三日間。World peace gathering 2019を、弘法大師空海によって1200年前に開かれた聖地高野山にて開催致します。
「希望に満ちあふれた、新しい時代を切り開いていく。」 そのような想いが込められた令和の時代が幕を開け、最初の一年が始まりました。 世界では未だ紛争や食糧危機が絶えず、気候変動など地球は危機に瀕しています。
平和とは何なのか、私たちにできることは何なのか、一人ひとりが問われる時代です。
虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん 弘法大師空海
ー生きとし生けるものが分け隔てなく、祈りにおいて全て一つになるー
ここ高野山は弘法大師が開かれた、すべてのいのちのための祈りの場です。
高野山から世界の平和、そして一人ひとりにとっての平和を考え、祈る。
その幕開けとして、World Peace Gathering in Koyasan を2019年10月18日(金)~20日(日)に開催いたします。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 高野山から世界平和を祈る。「〜World peace gathering 2019 in Koyasan〜 開催」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/7027260
日本赤十字社 追加資金援助を実施
ウクライナ人道危機に対する赤十字の活動
ウクライナから避難してきた子どもに保健医療を提供する赤十字ボランティア
日本赤十字社(名誉総裁 雅子皇后陛下)は、ウクライナでの人道危機対応及びウクライナからの避難民を受け入れる周辺国とその他の国々における赤十字の救援活動を支援するため、国際赤十字・赤新月社連盟(連盟)、赤十字国際委員会(ICRC)の緊急救援アピール(資金援助要請)に対して、14億円の追加資金援助を実施しました。
連盟とICRCに7億円ずつ送金し、各地で赤十字の中立な人道援助活動に使用されます。
これまでに、日本赤十字社から連盟とICRCへ送金した合計額は21億2000万円にのぼります。(使途詳細は、下記「ウクライナ人道危機に対する赤十字の活動」を参照)
3月2日から受け付けが始まった「ウクライナ人道危機救援金」は、4月1日時点で約24億5,600万円を超えました。
日本赤十字社コメント
「多くの皆さまからの温かいご支援とご協力に心から感謝を申し上げ、迅速に現地の救援活動に生かしてまいります。」
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