令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
福島県郡山市
福島県郡山市は、中通り地域の中心にある、人口約32万人の県内最大の市です。ちなみに宮城県仙台市に次いで東北地方でも第2位の人口となっています。古代、同市の方八町に国府が置かれ、政を司っていた郡衙があったことが郡山の名前の由来とされます。
同市の姥神像について以前その38で一部紹介しましたが、その他にもいくつかありますので今回から紹介していきたいと思います。
・白岩町前若宮
白岩町前若宮の姥神像
白岩町前若宮の姥神像
同市白岩町の前若宮地区、集落のはずれの道路沿い、丘の上に2体の姥神像が他の石仏と一緒に祀られています。(ただし置かれている場所は堺之内。)2体とも顔が削られていますがその造形から姥神像とわかります。顔だけが削られているのは廃仏毀釈の影響と思われます。
もともと別の場所にあったものをまとめたのかもしれませんが、その祀り方は大きく変化させていないと考えられ、道路沿いで集落のはずれにあることなどから、境界―姥神型として祀られていると思われます。
・白岩町下館
白岩町下館の奪衣婆像
白岩町下館の閻魔像
同市白岩町の下館地区、集落内の丘の上に様々な石仏がまとめられてあり、その中に頭はありませんが、その造形から奪衣婆とわかる像があります。同じ場所にこちらも頭がありませんが、その造形から閻魔とわかる像もあります。おそらくセットだったと考えられるため、これは地獄信仰として祀られたと考えられます。
・下白岩町竹下
馬牛頭観音の境内にある碑
馬牛頭観音境内にある姥神像
馬牛頭観音境内にある姥神像
同じく郡山市、白岩町ではなく下白岩町ですが、ここに馬牛頭観音が祀られています。馬頭観音は全国でよく祀られていますが、牛も一緒になっているものは珍しいと言えます。
馬頭観音はもともとインドのハヤグリーヴァで、頭が馬の神様であり、これが仏教で取り入れられ、頭上に馬の顔を付けた憤怒相の姿で表されるようになりました。その姿から生活に身近な馬に結び付けられ、全国で祀られるようになったとされます。ここからの派生で、牛を大事にしている集落などでは牛頭観音を祀っている場合もあります。この下白岩町のものはその両方を一緒にしていると考えられます。
その境内にたくさんの石仏が祀られているのですが、そのなかに姥神像が2体あります。2体のうち片方は頭がありません。
他の石仏とまとめてあるので、確実には言えませんが、堂の外で境内の端にありますので、境界―姥神型として祀られていると思われます。
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
三春町の周辺にある境界の奪衣婆
前回は福島県三春町の、彼岸と此岸の境界にある奪衣婆、閻魔像を紹介しましたが、その近辺地域にも多数の事例がありますので、今回いくつかご紹介したいと思います。
郡山市西田町木村地区の奪衣婆、閻魔像
郡山市の西田町木村、民家奥の川原に奪衣婆、閻魔像が祀られています。奥に社がありますので墓地などではないですが、神域との境界の意味で祀られた
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その38)福島県・境界の奪衣婆たち・・・【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/32594099
450年の時を超えて自由市「會津十楽」が復活
會津十楽とは
~会津で花開いた独自の食や工芸文化を体感できる會津十楽 現代に再現された味覚やデザインに触れ400年以上前にタイムスリップ~
洗練された南蛮文化の他、漆器や酒造りを奨励した蒲生氏郷公。織田信長公の“楽市”をさらに発展させた「十楽」という制度を城下に敷き、経済・文化振興を図りました。この制度を再現する物産イベント「會津十楽」です。
南蛮寺をイメージしたオリジナルデザインの南蛮小屋(ブース)を並べ、 時代衣装を身に纏ったスタッフが当時の食文化、当時の食を再現した「食楽」、匠の技を展示・販売する「匠楽(しょうらく)」、お伽衆朗読劇や絵付け体験などの「興楽(きょうらく)」など3つのコーナーで400年以上前の時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を再現します。
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