万田酵素
~人と地球の健康のために~
晴れわたる青空、瀬戸内海に囲まれた温暖な気候。創業以来、私たちは自然豊かな因島の風土とともに歩んできました。
自然の恵みを健康づくりに役立てたい、そんな想いで開発した「万田酵素」は、53種類以上の素材からつくられた健康のための発酵食品。発酵・熟成の過程で添加物や防腐剤は使用せず、自然の営みにゆだねた独自の技術でていねいに生産しています。これは、本当にいいものだけを召し上がっていただきたいから。現在では、人々の健康だけでなく、農業や水産・畜産分野などでも幅広く役立てられています。
「万田酵素」は、国内外の大学や研究機関などでその効果が認められ、数々のシンポジウムなどでも研究成果が発表されています。お客様の健康とまっすぐ向き合い、自然の営みにしっかり寄り添う。それが私たちが守り続ける信念です。
数十種類の植物性原材料を
3年3ヵ月以上発酵熟成させてできた植物性発酵物(FBP)
万田発酵株式会社(本社:-広島県尾道市因島、-代表取締役社長:-松浦 良紀)は、国立大学法人東海国立大学機構 岐阜大学(所在地:岐阜県岐阜市)の竹森 洋教授(工学部 化学・生命工学科 生命科学コース)と行った共同研究の結果、万田発酵製の植物性発酵物(FBP)とその抽出液に植物性発酵物由来のエクソソーム様構造体※図1が含有されていることを発見しました。
◆植物性発酵物由来エクソソーム様構造体とは
※図1 植物性発酵物由来エクソソーム様構造体 電子顕微鏡写真 植物性発酵物(FBP)
※図1 植物性発酵物由来エクソソーム様構造体 電子顕微鏡写真 抽出液
【植物性発酵物由来エクソソーム様構造体とは】
万田発酵製の植物性発酵物(FBP)とその抽出液
【サイズ/画像】
30nm ~ 100nm
【今後の展開】
発酵熟成のどの過程で生成されたのか検証および、機能性の知見が少ないため、機能性、作用機序の解明を目指します
◆万田発酵製の植物性発酵物(FBP)とは
果実類、穀類、野菜類、海藻類、豆やゴマ類など数十種類の植物性原材料を
果実や皮や種も丸ごと使用し、3年3ヵ月以上発酵・熟成させた複合発酵させた物です。
年間を通じて穏やかな気候に恵まれた瀬戸内因島において、添加物なども使用せず、
また発酵・熟成の段階では非加熱、水さえも加えず、数十種類の素材力を活かす
「常温発酵」にこだわり生成された物になります。
エクソソームとは ※図2
エクソソームは、細胞外小胞の一種で、細胞から分泌される30~100ナノメートルの構造体です。遺伝情報やたんぱく質、脂質から構成されており、動物のほか植物や微生物にも存在しています(動物由来の構造体はエクソソームと呼ばれ、植物由来の構造体はエクソソーム様構造体と呼ばれる)。
細胞間のコミュニケーションに重要な役割を担い、生体機能の調節に関与して、様々な生理機能への効果が期待されることから、医学分野のみならず化粧品や食品の分野への応用など、近年盛んに研究が行われています。
図2.月刊バイオインダストリー誌 2022.12を改変
エクソソームは、様々な生理活性物質を含有する30~100ナノメートルの微細小胞で、エクソソームを受け取った細胞の機能を修飾することで注目されています。
エクソソームの由来は微生物から哺乳類まで広い範囲の細胞であり、今回確認された植物性発酵物由来のエクソソーム様構造体は、原材料である植物自体あるいは発酵微生物に由来すると予想され、免疫調整、メラニン合成抑制、整腸作用が期待されるものといえます。
(岐阜大学 竹森教授)
◆会社概要
万田発酵株式会社
所在地: (本社)広島県尾道市因島重井町5800-95
代表者: 代表取締役社長 松浦 良紀
設立: 1987(昭和62)年6月3日
事業内容: 健康食品等の製造及び販売
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
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アーカイブ リンク記事をご覧ください。
万葉の時代より潮待ちの港として栄えた瀬戸内海の港町
福山市鞆町(ともちょう)伝統的建造物群保存地区
福山市鞆町(港町 広島)
福山市は、広島県の東南端に位置し、保存地区のある鞆は福山市中心部から約15キロメートルの距離にある港町である。中世の骨格を引き継ぎながら江戸中期までに整えられた地割に、江戸時代からの伝統的な町家や寺社、石垣等の石造物、港湾施設などが一体となって良好に残り、瀬戸内の港町としての歴史的風致を良く伝えている。
福山市鞆町(ともちょう)伝統的建造物群保存地区
所在地 福山市鞆町鞆字西町の全域並びに鞆字石井町 ,字関町 ,字江之浦 ,字道越町(みちごえちょう) ,字古城跡 ,後地(うしろじ)字古城跡及び字草谷の各一部
面積約8.6ヘクタール
広島県福山市鞆町は,瀬戸内海に突き出た沼隈(ぬまくま)半島南東部の港町で,その中心の鞆は,江戸時代の町人地を引き継ぐ。
潮待ちの港としての好条件を備え,古来より海上交通の要衝として栄えた。周辺の島々と共に成す景勝は,「鞆の浦」として万葉集にも歌われている。 室町時代後期には,すでに相当の町場が形成されており,慶 長5年(1600)に安芸・備後両国を領した福島正則が,海を見渡す小丘の鞆城を中心に城下町としての整備を行い、鞆城北麓は武家地,南麓から東麓にかけては町人地とされた。
元和(げんな)5年(1619)から元禄11年(1698)までの水野氏の時代には,福山に城下町が整備されて,鞆には奉行所や船番所などが置かれ,港町としての性格を強めていった。この頃までに町人地は7町に区分され,18世紀初頭には現在の市街地の基礎が整った。
江戸中期の7町の人口は,5,800人規模である。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「『万葉の時代より潮待ちの港として栄えた瀬戸内海の港町』&『谷が分かつ南北の台地に築かれた、坂が特徴的な武家町』重要伝建地区町並み拝見」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4315961
山里・栄村秋山郷
栄村秋山郷
冬は雪に閉ざされて春の遅い栄村秋山郷の人々は、自然と木と共に暮らす!
栄村秋山郷は平家落人伝説の地・・・源義経も眺めた山里の景色です。
栄村秋山郷 小赤沢集落
スノーシェッドのなかから、手前に小赤沢集落、その奥に雄大に迫る苗場山が展望できます。(11月中旬~5月上旬の降雪期は、道路が閉鎖されています)
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「『林野庁』ウッド・チェンジ・ネットワークと山里・栄村秋山郷」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6107568
デザイン・色彩には
「心の文明」へ向けて、関わる大切な発酵要素がある。
「環境と人」の調和である。
環境に関しては今まで述べてきたし、さらに具体案を提示していきたいと考えている。
近年DNAの研究成果で、日本列島人のDNAは周辺国や民族と比べ、かなり多くのDNAが混じり合う特殊な民族であるらしい。
藍染も発酵文化美の典型である、徳島の神山村の外国人のアートレジデンスでの雄大な藍染の発表作品
ところで日本人は単一民族だと主張する向きもある。それはおそらく日本的な文化の特殊性に、時には排他的になった民族性に起因すると思う。
しかし我々は周りを見渡しても顔貌は実に多様であり、鼻の形、瞼の形、肌の色、髪の毛の様子もかなりバリエーションがある。
筆者の五人兄弟姉妹も、姉妹は色白と褐色、目は単へと二重へ、兄弟も私は色黒、髪は天然ウエーブ、弟たちは色白、直毛である。
縄文時代の人々も南方から北から西から、それぞれの絶えず渡来混合してきたのであろうし、そして特に弥生期には船も発達し、太陽の昂るユーラシア大陸の東の果ての、行き止まりの太平洋の列島へは、何千何万とも言われる人々が、気候温暖、海の幸山の幸の風土に恵まれた理想の蓬莱の列島へ、稲作や、宗教や文字文化と共に渡来し、また500年も続いた中国大陸の春秋戦国の戦さから逃れ、高句麗、新羅、百済から半島経由での渡来はさぞかし多かったであろう。
因幡の白兎の伝説もその一部であったろうし、埴輪にある大勢で漕ぐフェニキア船で、はるばる西方からインド洋、太平洋の黒潮で台湾沖縄九州へやって来て、奈良大和の先住大国主一族を紀伊半島の裏から攻め、やがて大和王朝を築いた神武一族もあった。
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