ZIPANG-9 TOKIO 2020 -「陵王乱序 | Ranjo」- エミー賞ノミネート「SHOGUN」総合アレンジャーが贈る、雅楽とクラシックの融合による革新的サウンド!


エミー賞「SHOGUN」 



「SHOGUN」総合アレンジャーによる「陵王乱序 | Ranjo」


アメリカ・ショービジネス界の4大栄誉の一つ、優れたテレビドラマ、番組を表彰するエミー賞に2024年、ディズニープラス制作ドラマ「SHOGUN」がドラマ部門で最多となる25ノミネーションを果たしました。栃木県在住の作曲家、石田多朗が総合音楽アレンジャーを務めたサウンドトラックもテーマ曲賞、作曲賞2部門で選出。


雅楽、日本伝統楽器が効果的に使われた映像音楽、楽曲がエミー賞にノミネートされることは史上初の快挙です!


「SHOGUN」とは


「SHOGUN」がエミー賞最優秀作品賞を受賞!雅楽を取り入れたサウンドトラックが作品に深みを加え、受賞に貢献!


2024年2~4月全10話が世界配信され、驚異的大ヒットを記録。日本の戦国時代を舞台にしたテレビドラマシリーズです。同作は俳優真田広之氏が主演、プロデュースを務め、日本の専門家たちが現地の制作チームと共に戦国時代、侍の文化を研究し、衣装や小道具、所作など細部まで徹底的にこだわって制作されました。


初回2話が配信開始6日間で900万再生を記録するなど大反響。リミテッドシリーズのはずでしたが、反響を受け、第2シリーズの制作が決まっています。


雅楽作曲家・石田多朗が切り拓く、唯一無二の音楽「陵王乱序 | Ranjo」



11月1日に作曲家・石田多朗による現代雅楽の新作『陵王乱序 | Ranjo』がリリースされます。雅楽と西洋楽器を融合させた壮大な楽曲で、SHOGUN総合アレンジャーを務めた石田氏の初作品です。




なぜ、感動するのだろう。

なぜ、つくるのだろう。

なぜ、生きているのだろう。

わたしたちは、

かぎりある命がもたらす

果てのない問いをみつめ、

ひとつひとつ

ことばにならない答えを

かたちづくっています。


陵王乱序 | Ranjo Document

栃木県那須町在住の作曲家、音楽プロデューサーの石田多朗がこのほど、雅楽を代表する舞楽「陵王乱序」を独自解釈で切り取り、原曲にはない「笙」「篳篥」、さらに、西洋楽器や電子音楽を組み合わせた新曲「陵王乱序 | Ranjo」を制作。2024年11月1日にリリースします。


◆新曲「陵王乱序 | Ranjo」 3分24秒

作曲:石田多朗

レーベル:Drifter

配信開始日:2024/11/1(金)


現代的音楽に雅楽を取り入れた作曲家・石田多朗が、古典雅楽「陵王乱序」を雅楽楽器にストリングス、シンセサイザー、ピアノを合わせる斬新な楽器編成でアレンジ。雅楽の(自然界の音に近い響きと言われている)ピッチ430Hzに西洋楽器(通常クラシックのピッチは440Hz)を合わせ、重ねたことで幽玄、荘厳かつダイナミック、ドラマティックな曲が誕生しました。


石田が雅楽を取り入れた作曲を始めて約10年。エミー賞2024最多ノミネート、受賞数という功績を挙げたハリウッド・ドラマ「SHOGUN」に総合音楽アレンジャーとして参加した経験を経たからこそ生まれた、【新解釈雅楽】【石田流現代雅楽】第一作目の作品となります。



◆「陵王乱序 | Ranjo ドキュメントムービー」

「『陵王乱序 | Ranjo』制作風景を描くムービーが10月9日に一般公開となります。



◆原曲「陵王乱序」とは

古典雅楽「陵王乱序」は、雅楽の中でも外来音楽の唐楽の舞楽(※1)「陵王」(全演奏約40分)の一部です。北斉の国の蘭陵王長恭という人が,その美貌を隠すため仮面をつけて戦いにのぞんだという故事に由来して作られたといわれています。「陵王乱序」は、最も長尺の部分で約11分。舞人(まいにん)が舞台に登るときの舞「出手(でるて)」の部分になります。


鼓・太鼓・鉦鼓(打楽器)の延々と続くビート、全体に漂う雅楽特有のゆったりと揺れるグルーブ、唐突に切り込む龍笛の音がエコーの様に重なり、荘厳かつ、幻想的で幽玄な世界を創っています。


◆新曲「陵王乱序 | Ranjo」― 二つの挑戦 ―

新曲は、大きく二つの挑戦によって誕生しました。

【Challenge1】:雅楽に洋楽器、ストリングスをぶつける

【Challenge2】:ストリングスを雅楽のピッチ430Hzに合わせる


【Challenge1】:原曲「陵王乱序」は、打楽器だけの演奏から入り、舞いが始まり、舞に合わせて複数の龍笛が響きだします。その4拍あとに二つ目の龍笛グループが演奏に参加、さらに4拍遅れて第三の龍笛グループが加わっていくという、所謂、カノン形式です。古典雅楽の中で唯一の「乱序」になります。


石田は、太鼓と笛が追うように重なる響きに戦場へ向かう「進軍」の光景を感じました。そこにストリングスを加えることで「人の感情」を表現できるのではないかと考え、バイオリン、チェロ、ビオラを導入。奏者にも雅楽とぶつかり合うような、闘うような感覚で弾いてもらいました。すると、雅楽の霧、風のような幽玄な響きにストリングスが輪郭を与え、映画音楽のようなドラマティックなサウンドが創出しました。


【Challenge2】:洋楽、現代の音楽のピッチ440Hzです。雅楽は430Hzと大きく異なります。

これまでも雅楽と洋楽、クラシックの協演はありましたが、「洋楽に雅楽が合わせる」が一般的でした。同曲はストリングス奏者に430Hzに合わせてもらいました。すると、洋楽器は、雅楽楽器と近い生き物のような響きを帯び、響きに淡い残想を残していくのです。今までにない感覚を西洋楽器に覚えると思います。


他にも、実は原曲にはない、邦楽器のうちで唯一和音を奏でる楽器「篳篥」「笙」も加えて全体に神々しい光を纏わせ、さらに、ピアノ、シンセサイザーで現代的、無機的なエッセンスもミックス。


原曲の尊い世界価値を保ちながらも、現代だからこそ、石田だからこそ創れた曲となりました。



◆テーマ〝発動、発現〟 
―サウンドトラック、ゲーム音楽としての可能性を開く―

「陵王乱序」の【進軍、進む】というイメージに、石田は「雅楽の新時代の始まり」を重ねました。


雅楽、日本の伝統音楽は、後継者不足、資金難など多くの課題に直面しています。石田は、千年以上の歴史を誇る雅楽をはじめ日本の伝統音楽を未来に残すためには、雅楽を映画やドラマ、ゲームなどの映像のサウンドトラックに使い、自然と現代人の耳に残る、雅楽に興味を持つきっかけを作りたいと常々考えていました。


2023年、雅楽とクラシックの融合をテーマにした「Silence」プロジェクトを始動。雅楽の430Hzに西洋楽器が合わせる実験的作品を創作。そして、2024年、ハリウッド製作の戦国スペクタクル・ドラマ「SHOGUN」でのアッティカス・ロスら米作曲家陣の巨大なスケールを感じさせるエピックと雅楽のコラボレーション。


この二つの大きな経験からピッチ430Hzの力、現代の音楽とのレイヤー的融合で増幅し合い生まれる音の威力に確信を持ち、新作雅楽の創作に臨みました。


何百回と雅楽団体「伶楽舎」演奏の「陵王乱序」を聴き、曲の解釈に数カ月を費やして作曲。しかし、納得いかず、一度白紙に戻してさらに1カ月。収録、アレンジにさらに2カ月以上。膨大な時間と労力、奏者の協力のもと完成した曲は、どこか異界の感じを漂いつつ、人間のドラマを感じるサウンドが完成しました。


「ベクトルを誰にも向けない霧のような、空間に立ち込めるような響きを放つ雅楽に、ストリングスを入れたことでベクトルが人の心に向かった」と石田。


「陵王乱序 | Ranjo」は雅楽のサウンドトラックとしての可能性を拓いた作品となりました。そして、これは第一弾です。今後、さらに新曲、アルバムを制作し、2025年1月12日に那須野が原ハーモニーホール、3月9日に早稲田スコットホールでコンサートも予定しています。


そう、「陵王乱序 | Ranjo」は始まりの曲なのです。



◆石田多朗より

「『陵王乱序 | Ranjo』は、雅楽を未来につなぐ活動の始まりを切る曲です。クラシックと雅楽が演奏することは現代音楽のジャンルではいくつか例はあります。それをサントラといった一般の方が聴く機会を多く作ることを目的に曲を作りたかったのです。これまでに前例のない挑戦だと思います。


この曲を使った映画、ドラマを観たり、ゲームで遊んだりする中でサントラが気になって、いつの間にか龍笛を吹く子どもが出てくる。そんな現象を起こせたらうれしいです。


今作でまた新たな雅楽の不思議な魅力にたくさん得て、ワクワクしています。この興奮、感動をより多くの方の感じていただけるような曲をこれからもつくっていきたいと思います。先ずは、『陵王乱序 | Ranjo』で新しい雅楽の一面を感じていただけたら幸いです」


◆石田多朗【プロフィール】


                                                       石田多朗


1979年アメリカ合衆国ボストン生。作曲家、音楽プロデューサー、アートディレクター。
上智大学で国文学・漢文学を専攻後、独学で音楽を学び、東京藝術大学音楽学部に入学。
作曲、音楽理論、電子音楽を習得し、幅広い音楽的知識を得る。


在学中から、作曲家として活躍。映画、CM、ゲーム、プラネタリウムなどへの楽曲提供の他、美術館の音楽監督など多岐にわたるプロジェクトを手掛ける。栃木県那須町在住。


[主なプロジェクト] 東京都庭園美術館、金沢21世紀美術館、上海当代芸術博物館などで展覧会の音楽を制作。NHK主催福島復興プロジェクトのプロジェクションマッピング企画「はるか」(2017)、星野リゾート青森屋「みちのく祭りや」(2021.22)などで音楽監督を務める。米・大ヒットドラマ「SHOGUN」で総合音楽アレンジャーとして活躍(2024)。


【雅楽との関り】

2014年 東京藝術大学陳列館「法隆寺金堂壁画展」会場音楽として新作雅楽 “骨歌”を作曲。

2021年 雅楽プロジェクト「どんぶらこ」始動。

2022年 新作雅楽アルバム「けもの」完成。

2023年 雅楽と西洋音楽の融合をテーマにした「Silence」プロジェクト始動。

2024年 ディズニー・プラス制作ドラマ「SHOGUN」で総合音楽アレンジャーとして活躍。

2025年 12月2ndシングルを発表予定



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


一子相伝「林家舞楽」



谷地八幡宮「林家舞楽」は
日本三大舞楽の中でも、一番古い形をそのまま保っている。


色鮮やかな紅花染めの衣装は、陵王の舞をより一層引き立たせている。


日本三大舞楽 谷地八幡宮「林家舞楽」


まえがき

宮中舞楽、四天王寺、そしてこの山形県の河北町にある谷地八幡宮で行われる林家舞楽は日本三大舞楽とされており、中でも林家舞楽はこの内一番古い形をそのまま保っていることでも有名です。この町河北町は紅花大尽と呼ばれる旧家が沢山あり、奥ゆかしいお雛見という恒例行事が行われる事でも有名な場所です。


山形と言う処は全国的に見れば、何故かド田舎で地味で素朴だよね〜…と思われる方が多いかも知れませんね?


でも、蔵王温泉やあのトニー・ザイラーが滑った蔵王スキー場、山寺、奥の細道の芭蕉紀行と言えば…? あぁ〜蔵王のスキー場ならば、知ってるよ!昔、上野駅から夜行列車で、盛んに通ったもんだ。でも、あれは宮城県だよね〜なんて、答えが返ってきます。……違います。山形県です‼


では、さくらんぼのご本家は?また、ラ、フランスの本場は? も、一つ酒の十四代は?って問えば……それってもしかすると山形?と寝ぼけた答えに…傷ついちゃいますね〜序に天童市は何が有名でしようか? ハテ?…(ダンマリ続く)・・・将棋の日本一を決める聖地ですよ〜


さて、此処でご紹介する河北町はこの天童市に隣接する町で、江戸時代には谷地と呼ばれ、大地は水に恵まれた肥沃な農地であり、曾て "紅一匁金一匁" と呼ばれた日本一の紅花の栽培地でした。


紅花生産高の変化

*文化8年(1811)168t・・・時価17億1千万位(昭和50年 1両/2万6千円とする)

全国の紅花生産(享保16年)

1:出羽最上 2:奥州仙台 3:奥州福島

川港としても日本海に通じる最上川流域にあり、都や日本海に沿う各港との北前船による交易が盛んとなり、多くの近江商人が出入りして紅花大尽と呼ばれる豪商を輩出したのです。今でもその末裔である旧家では、奥ゆかしい "お雛見" という恒例行事の発祥地でもあります。


ただ、当地は日本一の栽培地であっても、昔からそれに携わっても農民や一般庶民の染色行為は一切、禁じられていましたから彼らは紅花がどんな色に染まるかは知る由もありませんでした。 特に紅花の儲けで、多くの都文化を運んだ紅花豪商たちは、帰り荷として贅沢に使われた紅花染めの衣裳で着飾ったお雛様を運び込み、土地の民衆に披露したのです。それは想像することさえもできないお内裏様を模したお人形達でした。


東北芸術工科大学 名誉教授
風土・色彩文化研究所 主宰 まんだら塾 塾長 日原もとこ(覚書より) 合掌


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020「舞楽の神髄を伝える谷地八幡宮 ~林家舞楽~(第一話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5888137



みちのくひなまつり発祥の地より
谷地ひなまつりに秘められたお婆ちゃんたちの思いとは・・・


谷地八幡宮代々所蔵のお雛様(左・中央)と檀家よりお借りしたお雛様が大広間に飾られていて、来る4月2日、3日に開催される「谷地ひなまつり」まで展示されますので、ご参拝の折には是非お立ち寄り下さい。


最上川の町営溝延渡船場(舟戸の渡し舟)


嫁時代、肩にくい込む桑を入れた"バカはけご"※の重みを渡船場と一緒に思い出すお婆ちゃん方もいます。船頭さんのこと、大水と舟止めのこと、流水の変化や個人の持舟のこと、お婆ちゃんたちにお聞きしたいことは沢山あります。今の私たちの知らない世界です・・・

今はない村のお婆ちゃんたちの大事な大事な足でした。


※バカデカい背負篭(ショイゴ)のこと。通常 " ハケゴ "とは山菜採りや農作業に一周り小さく便利な腰カゴ(ハケゴ)を指す。


河北町とはどの辺り?

河北町は、山形県のほぼ中央にあって、万年雪を抱く月山や、雄大な朝日岳、さらには、樹氷で有名な蔵王を遠くに望みながら、山形県の母なる川、最上川と清流寒河江川に囲まれた、風光明媚な環境の中にあります。


山形空港を表玄関とし、山形新幹線さくらんぼ東根駅、山形自動車道寒河江インターチェンジからは車で15分の距離にあり、東北中央自動車道東根インターチェンジからは、わずか7分のところです。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~雛と紅花の里 河北町~ 「谷地ひなまつりに秘められたお婆ちゃんたちの思いとは・・・みちのくひなまつり発祥の地より(第二話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5901235



河北町・谷地は「紅花」と「雛」と「舞楽」の里


紅花は地中海沿岸、またはエジプトが原産地といわれているキク科の植物です。耐寒性で、茎の高さが1メートル内外、7月上旬には茎頂にアザミに似た鮮黄色の可憐な花をつけます。

それでは、紅花は原産地のエジプトから、どういう道をたどって日本に来たのでしょうか。


紅花調査隊 シルクロードの村にて                  Ⓒ日原もとこ



中国の有名な『西域物語』という本には、「今から2200年程前に張騫(ちょうけん)という人が中央アジアに行った時紅花の種を持って来た」と書いてあります。


漢の武帝の時代のことで、張騫は紀元前139年、武帝の使者として長安を出発しました。
武帝は大月氏と結んで匈奴を攻めようという作戦でしたが、張騫は不運にも途中で匈奴に捕らえられ、何年もかけて自力で脱出しました。


その後何とか大月氏国へ辿りついたものの、大月氏国は匈奴の守備範囲からは距離的にも被害から免れ、戦意は全く無かったのです。しかし、張騫一番の収穫は、彼によって初めて西域の国々、実態が明らかにされ、交易の道が開かれた事でした。


とは言え、帰途もルートを変更したにもかかわらず再び、匈奴の拠点地で1年間、拘束されます。しかし、幸いなことに今度は匈奴間で内紛が起こり、その隙きをついて脱出に成功!そして、武帝から大祝福を受け、一挙に大きな地位を授かりました。


張騫が紅花を中国に持ってきたというのは、中国産の絹はヨーロッパ人から好まれ、シルクロード(絹の道)を通って西へ運ばれましたが、紅花は同じ道を西から東へ渡って、中国にきたことは確かです。


文化の東漸にしたがって、中央アジアからインドなどに伝播した紅花は、推古天皇の時代(593~629)に中国との文化の交流によって、わが国にもたらされたと…謂れていたのはつい5~6年前までのこと。


その後、大発見のニュースが報じられました。その中味とは…纏向遺跡から大量の紅花染と思われる花粉の跡が出土したのです。(2007年10月3日3時16分 読売新聞 )これにより、その規模と時代性から見ても卑弥呼の邪馬台国が九州説からこの纏向遺跡こそ…と比定する新学説が飛び出すなど、論争で賑わい、紅花の渡来は一挙に3世紀も遡ることになったのです。


紅花の植物誌

学名〈Carthamus Tinctorius L.〉1753年にリンネにより命名

(Carthamus=アラビア語の染める Tinctorius L.=ラテン語の染色用の)


【双子植物綱-合弁花亜綱-ききょう目-きく科-きく亜科-管状花族-あざみ類-やまくぼち亜類-ベニバナ属(20種)】


草たけ0.5~1.2m、葉は硬く、互生し、深緑色、広皮針形で先がとがり、ふちに鋭いとげ状のきょ歯があり、7月上旬アザミに似た鮮黄色の花をつけ、花弁はやがて赤色に変化します。

花は茎頂につき、管状花で径2.5~4.0cm、長さ2.5cmくらいの頭花をつくり、最初に開花するのが主茎頂花で、ついで各節の第1次分枝頂花が開花、その後第2次分枝が開花します。


総苞は外側のものが大きく、葉状となり(包葉)、ふちにとげがあり、そう果(子実)は白色で、光沢があり、長さ6mm、冠毛は非常に短く、8月上旬に成熟期に達します。茎の太さは7~8mmで7~15本くらいの分枝が発生し、根は直根性の太い根が発達し、移植を嫌います。

染色資料、口紅などの化粧品として栽培されています。 


谷地八幡宮 林宮司によると山形県内の置賜地方や村山地方などで主に栽培(中でも大江町産は良質)されていた青苧(あおそ)と紅の活用事例として、節目節目の人生儀礼に、晴れの日の色、魔除けの色としての紅で彩りを添えられるように工夫しているとのことです。


 紅花の品種

現在、県内に栽培されている紅花は、ほとんどが出羽在来種の中生種の中から山形県立農業試験場で系統分離した「もがみべにばな」と呼ばれているものです。


また、在来種の中から系統選抜したものに「とげなしべにばな」があり、これは主に切り花用に用いられています。その他、紅色素を持たない「黄色種」や「白色種」などの変わった紅花もあり、さらに早生種、晩生種、アメリカ種、岡山種、中国種、カシュガル種、イスラエル種、ブラジル種等があります。


用途・効用

生花、ドライフラワー(観賞用) 干紅花(薬用、嗜好品、茶、酒) 紅色素(着色剤、化粧用、染用、薬用、美術用) 黄色素(着色剤、染用、美術用)

紅花油(食用、薬用、塗料、紅花墨) 絞り粕(肥料、飼料)

(食用、茶)

(茶、飼料)

紅花の花弁に含まれる色素には水に溶けるサフロールイエロー(黄色)と水に溶けないカルタミン(紅色)があり、ともに染料とされます。


純度の高いカルタミンを口紅としてぬれば、唇の荒れを防ぎ血行をよくし、紅で染めた布を肌につけると体が温まるというので腹巻き・たび・ゆもじ・腹帯に使用しました。出羽三山参りの行者の腹巻きにも紅花染めが使われたといいますし、冷え性の婦人に薬効があるというので、花を陰干しして煎じて飲んだりしました。


紅花の種子からは、血管壁についたコレステロールを除く働きを持ち、高血圧予防に効果があるとされているリノール酸を含む良質のサフラワー油がとれます。サラダ油・天ぷら油・マーガリン等の食用油として使われています。また、種子の油を用い、その際に出るすすで紅花墨という上質の墨が作られます。


若い茎葉は上等の野菜となり、花は活花やドライフラワーとして使われます。


河北町 紅花資料館の庭園で育つ紅花


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 まゆはきを悌にしてべにのはな ~芭蕉~紅花の本場、谷地の「べに花まつりは、浴衣美人が映える半夏生の頃・・・(第三話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5935889



古記事に出てくる紅花


「シルク・ロード」と言う名称は、ドイツの地理学者リヒトホーフェンが名付けたのであるが、紅花はこの道を長年かかって、中央アジアから中国に伝えられたと考えられる。紅花だけでなく、ぶどう・きゅうり・えんどう・ごまなどの食べ物のほか、楽器や舞踊・奇術などもこの道を通って中国に伝えられたといいます。


紅花は中国へ来たあと、我が国には朝鮮半島を通って伝えられたと思われるが、その時期はいつ頃であろうか。


我が国で最も古い公的な歴史に『古事記』があります。古事記は和銅4年(711)大安麻呂が元明天皇の命を受けてまとめたもので、上・中・下の3巻からなっています。そのうち下巻は仁徳朝から推古朝までのことを書いてあるが、その中に、紅花のことが4回出ています。


紅花の記録としてはこれが最も古いもので、そこからも紅花伝来の時期を推測することができるのです。仏教が百済から伝えられたのは、欽明天皇の13年(538)とされていますが、紅花もその頃朝鮮から伝えられたと考えてよいのではないでしょうか⁉


官位十二階制の色彩

官位十二階の制度は、推古天皇11年(603)12月に聖徳太子が創案したものといわれます。


この制度は、色の異なる冠を用い、朝廷における席次を定める制度です。その順次を十二階にわけ、名称は、大小の徳・礼・信・義・智でこれにそれぞれ紫・青・赤・黄・白・黒に染めた冠をあてています。


王朝時代 紅花染めはマドンナ の玉座に

武家文化、鎌倉幕府成立前に天皇が政治の実権を握っていた時代が「王朝時代」と謂われております。 


伊勢~明和町「斎宮」の斎王~紅花染めが艶やかですね…


斎王(さいおう)…それは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことであります。


歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674)、壬申(じんしん)の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まりました。 


以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。伝説は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)など、さらに多くの斎王の物語を伝えています。


竹の都 斎宮(さいくう)。それは、天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕える斎王の住まう所であった。


そこは碁盤の目状に道路が走り、木々が植えられ、伊勢神宮の社殿と同じく清楚な建物が100棟以上も建ち並ぶ整然とした都市で、そこには斎宮寮を運営する官人や斎王に仕える女官、雑用係などあわせて500人以上もの人々が起居し、当時の地方都市としては『遠の朝廷(とおのみかど)』と呼ばれた九州の太宰府に次ぐ規模を持っていました。


また、斎王を中心とした都市であることから、斎宮では貝合や和歌など都ぶりな遊びが催された。また、都との往来もあり、近隣の国からさまざまな物資が集まるこの地方の文化の拠点でもあったと考えられています。


紅花を見守る紅花地蔵


紅花地蔵とお札


蔵王連峰をのぞむ上山城下。二日町というところに、高さ50センチほどの小さな地蔵様がありました。


紅花の季節になるときまって近郊近在から大勢の参詣人がやってきて、お札をいただいていきます。紅花畑にこのお札を立てておくと、茎が折れる病気から紅花を守ってくれるというのです。人々はこの地蔵様を紅花地蔵とよんで大切に祀り、紅花のすこやかな生育を祈り、あわせて五穀の豊饒を願ったのでした。


余滴

紅花とことわざ

紅は園生(そのう)に植えても隠れなし

大成する人物は子どもの時から常人と違って優れた素質が認められるの意


柳は緑 花は紅

天地自然のあるがままで、人工の加わらぬさま


万緑叢中 紅一点

多くの男性の中にただ一人女性がまじっているたとえ


薬九層倍 花八層倍

売値が原価にくらべて非常に高いこと


尼御前の紅

不似合いなことのたとえ


あかがり足に紅絹裏(もみうら)

紅絹裏をちらつかせて歩く女性の素足にあかぎれが切れていること

不似合いで艶消しな取り合わせをいう


江戸の紅絹裏

難波の紫

都の黄無垢(きむく)

それぞれの地では流行おくれの衣服とされたところから、古びて流行おくれのもののたとえ


江戸紫に京鹿子(かのこ)

紅染は京都の名産、紫は江戸の銘物である。江戸時代の東西両都の染色の特徴をいうことば


紅(くれない)は染むるに色を増す

紅の染色は、最初は色薄く何回も繰りかえし染めて濃くすることから繰りかえし努力することが大切であるということ


女は華丹(かたん)の窈窕(ようちょう)を乱すをにくむ

華丹はおしろいや紅の意、お化粧も過ぎると逆効果になる


人に千日の好無く 花に百日の紅無し

人の親しい交際も花の盛りと同様に長続きしないものだ


宝剣は烈士に贈り 紅粉は佳人に贈る

宝として大切にしている剣は勇士に贈り、紅とおしろいは美人に贈る。物を贈るに当を得ていることのたとえ


紅葉(もみじ)に置けば紅の露

環境によって外観の変わることのたとえ


木綿布子に紅絹(もみ)の裏

粗末な木綿の綿入れに豪華な紅染の絹をつけること。つり合わないことのたとえ。また外見より内実がすぐれていることのたとえ


寒中の丑の日に買った紅は薬になる

寒中に作られた紅は品質がよいうえ口中の荒れを防ぐ。丑の日に買うと小児の疱瘡に薬効があるという


売り物に紅をさせ(花を飾れ)

売る品物は美しく見せよ


紅白粉は女のたしなみ

紅や白粉で化粧することは女として大切な心がけの一つである


誰に見しょとて紅鉄漿(べにかね)つける みんな主への心中立て

誰に見せるために化粧をするものでもありません、それは皆すべていとしいあなたへのまごころを示すためなのです


昔馴染(なじ)み紅花染め(紅花色) 色がさめてもきが残る

昔馴れ親しんだ人はいつになっても気になって忘れることができない


千入(ちしお)に染むる紅(くれない)も 染むるによりて色を増す

よいものでもさらに心をくばりみがきをかけてすぐれたものにすべきである


霜葉は二月の花よりも紅(くれない)なり

霜のために変色した紅葉は二月の花よりも赤くて美しい


朝紫に夕紅(くれない)

朝は紫色に見え夕方は紅色に見える遠い山の美しさをいったことば


朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて 夕べに白骨となる

人生の生死のはかり知れないこと 世の無常なこと


紅顔(こうがん)の美少年

若々しく生々とした血色の美少年


花染めの移ろい易き人心

草木染めは変色し易いことから、人の心のうつろい変わりやすいこと


紅網代(べにあじろ)

かごかき棒が紅花の染料を塗ってある網代かご 大奥にいる御年寄りが御台所の代参などで寺院などに参拝するときに乗る


紅茶宇(べにちゃう)

ポルトガル人がもたらしたインド産の薄地琥珀織の紅色の絹。袴や裃を作った


来迎の柱は金箔 女の湯具は緋縮緬

何事も道具立てがよくないと立派に見えない


緋縮緬 虎の皮より恐ろしい

緋縮緬は商売女の腰巻きに、虎の皮は鬼のふんどしに用いられたところから、商売女は鬼より恐ろしい 


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 最上川とべに花物語 ~「行く末は 誰が肌ふれむ 紅の花【松尾芭蕉】・・・ (第四話)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5960062



八世野村万蔵氏(1959-2004)が創り上げた祝祭が「大田楽」です


大田楽とは

平安時代末期から、京の都を中心に全国各地で一世を風靡し、貴族・武士・大衆の区別なく熱狂を重ねながら室町時代には消滅してしまった「田楽」という芸能がありました。


その田楽のエネルギーはそのままに、各地の伝統芸能や、民俗芸能を盛り込み、さらには西洋の動きや音楽を取り入れ、学術研究家、舞踊家、音楽家、俳優たちとの協働作業により、狂言師の故野村耕介(八世野村万蔵氏(1959-2004)が創り上げた祝祭が「大田楽」です。


色とりどりの花をあしらった大きな笠をまとい、腰鼓や編木をつけて躍る人々、アクロバット、ジャグリング等様々なパフォーマンスが中世の絵巻物さながらに華やかに繰り広げられます。もう一つの特徴は、お祭りのように老若男女の誰もが参加でき、プロの俳優や演奏家と共に、市民参加として一緒に作り上げていくところです。市民参加者は本番の1ヶ月~2ヶ月前から稽古を積み重ね、一緒の舞台にたちます。


大田楽「王と虎」


1993年度文化庁芸術祭賞を受賞。1998年長野パラリンピック閉会式をはじめ、この大田楽を中心に構成された様々な催しが式典のアトラクションなどに展開しています。また新しいお祭りとして、地域活性化事業の一環として、地元市民参加の方々と一体となり各地で上演されています。2009年には伊勢神宮式年遷宮の宇治橋架け替えの際に奉納伊勢大田楽を、また御遷宮の2013年には奉祝伊勢大田楽を催しました。田主に人間国宝野村萬、巫女に松坂慶子が出演、演出はあらたに九世万蔵によるもので、総勢百余名による公演でした。


NHK大河ドラマでは、田楽の時代の作品には民衆の場面で大田楽が使われ、「太平記」「秀吉」「利家とまつ」「義経」「平清盛」「軍師官兵衛」に登場しました。学校授業に組み込まれているケースもあり、滋賀県守山市立命館守山中学では、中学2年生を対象に指導し発表を行なっています。


ここ10年間の海外公演では、日米修好150周年記念行事として、在米日本大使館より招聘され、2003年には、さくら祭り開会式典、スミソニアン博物館で上演し、2004年にはケネディセンター大ホールにて「楽劇日本楽」の一部として大田楽も披露し、さくら祭りパレードに参加しました。


2005年には日韓友情年の公式行事としてソウルで上演、2009年はホノルルフェスティバルで、また、ウィーン民俗学博物館とシェーンブルン宮殿前広場で公演しました。
2012年3月にはワシントンに桜が寄贈されて百周年を記念する「さくら祭り」に参加。
ワシントンとフィラデルフィアにて上演。


2013年はスペイン、マドリードとグラナダで公演しました。
2014年は赤毛のアンのふるさと、カナダプリンスエドワード島で文化交流を行いました。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020  ~大田楽 いけぶくろ絵巻~「今宵は~舞い遊ばん、躍り狂はん!~」 & 伊雑宮(伊勢・志摩)始め各地の御田植祭
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ZIPANG-9 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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