茗茶潤心 良いお茶は心を潤す
和敬清寂
老舗茶屋「妙香園」
ご挨拶
六十二万石の城下町・名古屋では、七代尾張藩主・徳川宗春のもとで「茶の湯」が広められ、文化・文政期になって大流行します。やがて下級武士や庶民層にまで浸透し、幕末のころには日常の団らんの場でも抹茶が盛んに飲まれるようになりました。
そんな茶どころ名古屋において、当店は日本一の茶舗を目指し、専門店としてのれんを掲げてきました。創業以来、家訓のようにして守ってきたのは、「良いお茶は心を潤す」の意が込められた「茗茶潤心(めいちゃじゅんしん)」の四文字です。
「茶の湯」の教えにもあるように「お茶」は「心」。一杯のお茶の中には淹れた人の人柄が溶け込み、日常生活に欠かせない真心を伝えます。当店が「お茶の香りと、味と、色で真心を伝えていくこと」を使命としてとらえ、「お客様に喜んでいただくためには何をしたらよいか」を常に発想の原点にしてきたのも、すべて「茗茶潤心」に由来しています。
名駅サンロード店、サカエチカ店では、お茶の香りを大切にする思いから、店頭でほうじ機を回しながら、炒りたてのほうじ茶を販売しています。
直営店では、お客様とのご縁を大切にする思いから、来店されたお一人お一人に、抹茶とお菓子を無料でお出ししています。
そして、品質を大切にする思いから、全国のお茶の産地に足を運んで茶葉を選りすぐり、歴史に培われた独自のブレンド製法によって香りと味と色にこだわった製品をお届けしています。いずれもお客様にはご好評で、大変喜んでいただいております。
これからも、お茶に親しまれているみなさまに、真心を伝えてまいります。
妙香園のこだわり
品質を大切にする思いから、
全国のお茶の産地に足を運んで茶葉を選りすぐり、
歴史に培われた独自のブレンド製法によって
香りと味と色にこだわった製品をお届けしています。
ブレンドは伝統の成せる技
大正5年の創業以来、茶匠が全国の産地から吟味した茶の葉を秘伝のブレンド技術により商品にしてお届けしています。
名古屋の香りと言えば名古屋名物「妙香園のほうじ茶」
絶妙の火加減で焙じたほうじ茶は香り・味・水色にこだわった当社の看板商品です。
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日本茶専門店の風味・味わいを全国にお届け
日本の文化の一端を成す「お茶」を真心込めてお届けいたします。
特別な日を演出する本玉露からお普段使いのお茶まで、お客様の用途に合わせて
オンラインショップでお気軽にご購入いただけます。
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ご了承下さい。
老舗茶屋「妙香園」が新店舗を新商業施設「あつたnagAya(ながや)」に
9月6日オープン!抹茶体験ワークショップとほうじ茶焙煎を楽しむ新しいお茶の空間
株式会社妙香園(本社:名古屋市熱田区、代表取締役:田中 良知)は、大正時代より100年以上にわたり熱田で営業を続ける老舗お茶屋です。このたび2024年9月6日に、熱田神宮の門前に位置する新商業施設「あつたnagAya(ながや)」に新店舗をオープンします。これを機に、妙香園は初のイートインスペースを設け、抹茶体験ワークショップを実施するなど、新たな試みを始めます。
妙香園 あつたnagAya店
■新店舗の特徴
今回の新店舗では妙香園の伝統を継承しつつも、現代のお客様に合わせた新しいスタイルのお茶体験を提供します。特に日本文化の魅力をより深く楽しんでいただけるよう、抹茶体験ワークショップを予約制で開催いたします。このワークショップでは、お客様自身が抹茶を点てる体験ができ、お茶の歴史や文化に触れる機会を提供いたします。
さらに、名古屋の地下街で長年親しまれている妙香園ほうじ茶の焙煎の香りを、熱田の地でも楽しんでいただけるよう、店内にほうじ茶の焙煎機を設置しました。この焙煎機を使い、新鮮なほうじ茶の香りを漂わせながら、お客様に本格的なお茶のメニューをご提供。香り高いほうじ茶の魅力を、この新しい空間でお楽しみいただけます。
■熱田への想い
熱田神宮の目の前に位置する「あつたnagAya」で新たなスタートを切ることは、妙香園にとって特別な意味を持っています。熱田で創業した妙香園が熱田の元になった熱田神宮の門前に再び新たな拠点を構えることができることを、非常に光栄に思っております。これからも地域の皆様に愛されるお茶屋として、伝統を大切にしながらも進化し続けてまいります。
妙香園 あつたnagAya店
妙香園 あつたnagAya店
妙香園 あつたnagAya店
妙香園 あつたnagAya店
■店舗概要
店舗名 :妙香園 あつたnagAya店
所在地 :〒456-8501 愛知県名古屋市熱田区神宮三丁目6番51号
あつたnagAya B-4区画
オープン日:2024年9月1日(日)
営業時間 :午前10時~午後5時(ラストオーダー午後4時30分)
定休日 :なし
ほうじ茶
■株式会社妙香園について
名古屋の香りと言えば名古屋名物、妙香園の「ほうじ茶」。
妙香園は大正5年の創業以来、茶舗・お茶の専門店として品質を大切にする思いから、茶匠が全国のお茶の産地に足を運んで茶の葉を選りすぐり、歴史に培われた秘伝のブレンド技術により香りと味と色にこだわった商品をお届けしています。
■会社概要
商号 : 株式会社妙香園
代表者 : 代表取締役 田中 良知
所在地 : 〒456-0012 名古屋市熱田区沢上二丁目1番44号
設立 : 大正5年2月
事業内容 : 日本茶、茶道具の小売、卸売およびテイクアウトのカフェ
資本金 : 6,300万円
関連情報
地域で継がれる魅力を嗜み、再発見できる場所。
あつたnagAya
東海道の宿場町として
多くの人が行き交い、
歴史を紡いできた熱田の町。
現在も、当時の賑わいの面影や、行き交う人々をもてなす、
温かな心が残っています。
あつたnagAyaは、
その玄関口である名鉄 神宮前駅の西口すぐの商業施設。
この町の歴史をモチーフにした
街道沿いの長屋をイメージした建築には、
東海エリアのまだ知られていない特産品を始め、
地域の魅力を再発見できる店が軒を連ね、
行き交う人々に新しい発見や、歓び、楽しさをもたらすでしょう。
すきに嗜む。ときを楽しむ。
その路地を歩けば、その角を曲がれば、
懐かしくも、どこか新しい
出会いが待っている。
ここは、
おとなが日常の中で忘れかけている、
本物を嗜む場所。
あつたnagAya(9/6開業)
〒456-0031 愛知県名古屋市熱田区神宮3丁目6−34
Access
名鉄 神宮前駅 西口すぐ
名鉄 名古屋駅より名鉄名古屋本線で6分
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
株式会社 妙香園
名古屋鉄道株式会社
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
天空の茶の間
2019年よりサービスを展開し好評を博している「茶の間」。
黄金の茶の間
静岡県内7箇所ある茶の間の1つ「黄金の茶の間」は世界で唯一、黄金色に輝く品種・黄金みどりが自生する茶園として、全国各地から多くのお客が来園する。
受付を済ませ、茶の間までは山道を挟みながら約30分のハイキング。息を上げ、たどり着いた先では、黄金色の絨毯のごとき茶畑と趣のある古民家、そして園主の佐藤浩光さんが出迎えてくれる。(※黄金色の葉の時期は4月中旬〜5月中旬、6月中旬から7月初旬、8月中旬から8月下旬の年3回ほど。その他、黄緑色に葉が染まる時期があるなど、一年を通じて茶畑の様々な表情が楽しめる。)
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 世界にここだけ、絶景の茶の間(その1)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/24408468
~日本の文化とマナーを学ぶ~美術館で茶道!
楊三郎美術館にてお点前 茶道裏千家 村越のりこ氏
人生は全てが本当に出逢い
美術館を託されたのは、両親が知り合った不動産のディベロッパー、楊三郎氏の長男・楊星朗氏との縁だ。両親がアメリカで物件を探していた関係もあり、家族ぐるみでお付き合いする中で、のりこ氏は御存命だった楊三郎夫人に出会い、意気投合する。
百四歳の高齢ながらパワフルで、日本を愛する夫人から、美術館の本格的なお手伝いを依頼されることになる。それが館長業務だ。
元々、絵画は台湾を代表する素晴らしい作品で美術館自体の建物や庭も素晴らしく、週に一度しか開けていないのがもったいないと思っていたこともあり、引き受けたのりこ氏。
「日本と世界を、文化で繋ぐという心意気は同じ」と考え、夫人・御子息が亡くなった今も志を継いで、作品も含めた場そのものを「文化の交流場」として整えた。現在、休館日は月曜火曜のみ。
600坪ある庭ではカフェや松花堂弁当を楽しめるようにした。茶道裏千家のお稽古など「日本の文化や作法などに触れる講座」も開き、一方で、児童の写生大会やコンサートなど、地域の教育にも貢献する。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020 ~日本の文化とマナーを学ぶ~美術館で茶道!~台湾で人気「日本の文化と礼法」ハワイへ躍進
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/51763387/
独自の流派「不昧流」を確立
「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」 不昧公
松平不昧公 好み 茶室 「明々庵」
松平不昧公
歴代の松江藩主の中で、松江藩中興の祖とされるのが、大名茶人として名高い松平家7代藩主の松平治郷(1751~1818年)です。「不昧公※」の名で今も多くの人に親しまれていますが、これは1806年の隠居後に剃髪して名乗った号「不昧」からきています。
※宝暦元年(1751)~文政元年(1818)雲州松江藩七代藩主、幼名を鶴太郎、名を治郷(はるさと)といい、未央庵(みおうあん)・一々斎(いちいちさい)・宗納(そうのう)・不昧などの号をもっている。
不昧の号は、江戸天真寺の大顛和尚(だいてんおしょう)が、無門関百丈野狐(むもんかんひゃくじょうやこ)の章「不落不昧(ふらくふまい)」から命名したもので、公は特にこの号を愛用した。
藩主となった当時の松江藩は財政難でした。治郷の父・宗衍は財政改革を推し進めましたが、度重なる天災、幕府から命じられた社寺改修といった出費のため成果は上がらず、1767年に数え年17歳だった治郷に後を託して隠居しました。
治郷は家老に朝日丹波郷保を起用し、「御立派の改革」と呼ばれる財政再建策を進めさせました。藩内での借金を棒引きにするなどの債務整理や、藩の人員体制見直しといった歳出削減に大なたを振るいながら、薬用人参や櫨蝋の栽培をはじめとする産業振興策で収入増を図り、藩の財政を立て直したのです。
その一方で治郷は、十代のころから茶の湯や禅学を熱心に学びました。大名茶として知られる石州流を基本としながら、三斎流など他の流派にも接して自らの茶道観を確立しました。これが不昧流として今も伝わっています。
著書「贅言」は、茶の湯への執心を諌めた家老朝日丹波への反論で、形式や道具にこだわる当時の町人たちの茶の湯を批判し、わびの精神を説きました。
藩財政立て直しの後は、当時の大名家などから次々と巷に散逸していく茶道具の収集に力を注ぎました。その収集品はのちに「雲州名物」と呼ばれ、茶の湯や美術の愛好家から高い評価を受けています。
茶の湯の歴史における治郷の大きな功績は、それまで単に「名物」と呼ばれていた茶道具の名器をさらに細かく「宝物」「大名物」「中興名物」などと分類し、18巻にも及ぶ著書「古今名物類聚」にまとめたことです。また、松江藩内で美術工芸の振興も図り、陶芸や漆工、木工の世界で多くの名工を育てました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-9 TOKIO 2020 松江藩七代藩主 松平不昧公好み【明々庵】
https://tokyo2020-9.themedia.jp/posts/54569829
建築にみる東西文化の違いとは!
大分県豊後高田市『富貴寺大堂』
山形県白鷹町『深山観音堂』
山形に腰を下ろして25年になりますが、 この間、当初から折に触れては列島東西文化の違いに遭遇する羽目となりました。
当初は軽いカルチャーショック程度でしたが、段々とその故事来歴を知るにつけ、縄文、弥生に遡る日本人ルーツ論に及ぶ話となり、基底に横たわる複雑怪奇な複合要因に興味津津となって今日に至ります。
さて、本サイトを拝見し、先ず目に飛び込んできたのは何と言っても、国宝である「富貴寺大堂」の屋根の形でした。美しい〜‼ 完璧ですね〜 そして、すぐさま連想したのは山形県白鷹町にある奥まった地区にひっそりと佇む深山観音堂(観音寺)のこと。
それはやはり国の重要文化財で、同じ方形造り(ほうぎょうづくり)のお堂でしたから。
宗教とは当然のことながら、その宗教が説く最高理念=神又は仏への信仰、そして神、仏と人とを結びつける媒体が神像、仏像、そしてそれを祀り保護する装置が神殿又は仏殿だと思います。
ここでいう、信仰とは不可視の対象としてソフト、また、後者の媒体や装置は目に見える対象としてハードの部分と考え、それらがそれぞれの地域に長く根付いてこそ、この二つの融合体は住民に受容された完成形の証ではないかと思うのです。
もう少し細かく言えば、宗教とはその宗派の主祭神、根本理念、教条、導師、信者、祭祀殿堂が揃わねば成り立ちません。しかし、深い信仰心に裏付けられた本物の信者にとっては、信仰心こそが求道の真髄なので、これをソフト面として捉えれば他の何をも必要としない訳です。
しかし、 他方、ハード面としての宗教施設の役割は、その主祭神仏を祀る祭殿であり、布教活動の本拠地であることです。同時に不可視の主祭神仏像に対して、信者が祈りを捧げる為の場です。
それには可視化された対象としての神像、仏像を造り、それを取り巻く背景としての装置や装飾効果で聖なる空間を演出しなければなりません。特に初心入門者にとっては不可欠な場所になります。
信者は一時的に、日常から切り離され、異次元の世界で神仏に、直接対峙できる場所だとも言えるでしょう。
信仰期間の長短に拘わらず、導師によって教えを学び、或いは信仰心を高める自己修練の場であり、同じ信仰心を持つ仲間同士の交流の場、そして信者の心の拠り処となる場とも言えるでしょう。
さて、素人の観た東西の宗教建築にみる 印象の話に戻ります。つまり、ハード面としての宗教建築とは、その宗教が目指す理念をシンボライズした究極の可視的表現でありましょう。
では、他国で生まれた宗教の根本理念を自国へ受け入れる時、発祥地の様式をそっくり真似たら如何なものか?と思いますが、なかなかそうはなっていませんね〜。何故でしょうか? その建築的表現は、それを招請した国々の風土環境、歴史文化、財政面、技術面等による諸事情が優先するからでしょうか? では、先程の東西の方形造りの御堂について特長を見てみましょう。
先ずは、西の横綱国宝 豊後高田市の 富貴寺大堂の瓦葺屋根 言うなれば、 近づき難い荘厳の美。 天空に向かう緩やかな外向き曲線の反り
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
国宝茶室 如庵は、茶の湯の創世期に尾張の国が生んだ大茶匠・織田有楽斎が建てた茶室
ZIPANG TOKIO 2020「豊後高田市『富貴寺大堂』と山形県白鷹町『深山観音堂』の建築にみる東西文化の違いとは! 【寄稿文】まんだら塾長 日原もとこ」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3097791
~るうふがリブランディングを通して伝えたい想いとは~
伝統工法の古民家「澤之家」の柱や梁、何と!どっしりと太いこと・・・
古民家一棟貸し宿LOOFを初めて6年の歳月が経ち、
多くのお客様に古民家という非日常の空間を楽しんでいただき、 帰り際に、来た時よりも少し仲良くなっていく姿を何度も見てきたのでした。
その時に、ホテルは、寝床のハードを提供する場所ではなく、その場でしかできないソフトを提供する場所なのだと確信したそうです。
ホテルは、ハードからソフトの時代へ。 「 ホテル自身が観光地となる体験型ホテルを」という思いで、昨年からるうふのリブランディング を進めていたのです。
そんな中、新型コロナウィルスの影響により、揺れ動く社会を見ていく中で、 よりリアルなホテル体験を多くの方々に届けたいという思いが強くなってきたそうです。
るうふは提供するWITHコロナ時代のホテルのニュースタンダードを、 様々な地域の再興の一つの形として日本中に広げていく計画を持っています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020地域の土地や文化の色は?風土や営みから生まれた素材は?自然や地域ならではの体験提供 ・・・時を超える宿「るうふ」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10132449
尾州徳川家御用窯 唐三郎窯
瀬戸 尾州徳川家御用窯 唐三郎窯
加藤唐三郎の家譜
初世 景正 藤ノ四郎兵衛 春慶 貞応2年3月道元禅師に随い唐に渡り、陶技を練修、安貞2年8月帰朝後瀬戸に窯を築く、時任三千一寅年なり、瀬戸陶業の祖なり。
2世 基通 藤次郎 後改 唐四郎 黄瀬戸焼の発明者。後世真中古と称す。
3世 景國 藤三郎 改 唐四郎 其作品を中古物金花山云う。
4世 政連 藤九郎 改 唐四郎 椿窯の祖、破風窯と云う。渋紙手発明者也
5世 信政 唐四郎 改 唐四郎
6世 政光 藤冶 改 唐四郎
7世 基実 小右衛門 後 唐四郎
8世 基房 六之亟 後 唐四郎
9世 兼実 九左衛門 後 唐四郎
10世 基冶 五郎右衛門 後 唐四郎
11世 政長 藤十郎 後 唐四郎
12世 基時 八十右衛門 後 唐四郎
13世 政高 仁三郎 後 唐四郎
14世 基光 仁兵衛 仁兵衛
15世 景長 藤右衛門 後 仁兵衛
16世 基久 藤三郎 藤三郎
17世 久種 冶郎右衛門 後 唐三郎
18世 景頼 藤左衛門 藤左衛門
19世 景貞 利右衛門 後 唐三郎 初世景正より19代の直系に当たる。慶長13年美濃國郷之木に移り陶業を営んでいたところ、慶長15年2月5日、景正の直系の家系の者として、徳川家康公の命により召出され、赤津に於て家康公並びに尾張徳川家の御用を勤むべく命ぜられた。
この時景正名を唐三郎と改め、苗字帯刀を許され爾後窯屋として家宅、窯場、御除地八反五畝二十四歩を永代拝領し、年貢諸役を免除された。
20世 景康 唐三郎 唐三郎 慶安3年尾張藩主徳川義直公の御恩召により御城下お庭に窯を築き御庭焼をはじめる。世に之を御深井焼と云う。爾後赤津に於て御高十石目を受領する。
21世 景則 唐三郎 唐三郎 寛文13年丑年に尾張藩主光友公より毎年金十両永々下賜の命を受く。
22世 景定 藤九郎 後 唐三郎
23世 景友 義左衛門 後 唐三郎
24世 景藤 三之助 後 唐三郎 安永5年3月13日国守の男掃部頭本村雲興寺に臨みし時其製品を徴せる。依て金三百疋下賜せられたり。
25世 景明 戸三郎 後 唐三郎 号春洞
26世 景久 亀三郎 後 唐三郎 号春龍
27世 景賢 賢二郎 後 唐三郎 号春賢 19世景貞より27世景賢まで代々尾張家御窯屋として御用を務める。
28世 景良 重五郎 後 唐三郎 号陶仙 明治41年京都表千家禄々斉大宗匠の御来臨を忝し、陶仙の号記を賜う。各地の品評、展覧会に出品して受賞す。
29世 幼名 次 郎 後 唐三郎 号陶泉 昭和5年忝くも貞明皇后、秋泉御茶室用の御数茶?の御用命を受け、謹んで御製作しご受納の光栄に浴す。昭和17年技術保存認定者の資格を得る。
30世 唐三郎 幼名 俊郎
一、 芸術保存作家に認定される。
一、 芸術陶器認定作家の資格を得る。
一、 日 展 入 選 5回
一、 日ソ展 入 選
(ソ連美術館永久保存)
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「尾州徳川家御用窯 唐三郎窯 三十一世 加藤唐三郎作品」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4223304/
これぞ尾張名古屋の食文化!
あつた蓬莱軒と言えば・・・
あつた蓬莱軒『ひつまぶし(登録商標)』
職人技
新鮮なうちに数秒でさばかれるうなぎ。身と皮の間に職人の感覚で打つ串。備長炭で香ばしく焼き上げる焼の技。職人技の集結から生まれる伝統の味。
140年継ぎ足しの秘伝のタレ
創業時代から継ぎ足し、140年分の旨みが溶け込んだタレ。
創業者の家系のみに口伝で伝えられ受け継がれている秘伝の味。
焼き
何度も何度も焼いてはタレを付け、タレを付けては焼く、五感に染み込んだ職人技が、秘伝のタレとコラボレーション。『あつた蓬莱軒』伝統の旨みと香ばしさをひき出す・・・
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020あつた蓬莱軒の鰻(ひつまぶし)は三度(+α)うまい ❣❣❣ これぞ尾張名古屋の食文化!
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/36293010
熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣・・・天照大神
熱田神宮の森・鳥居
熱田神宮 拝殿
由来
ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。
御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父・景行天皇から信任を授かった日本武尊は、東征の帰途、尾張国造の御女である宮簀媛命をお妃とされ、やがて草薙神剣をこの国に留めておなくなりになります。宮簀媛命は尊の御遺志を重んじて、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ千九百年前になります。
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