令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で
被害を受けた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。 (編集局)
能登七尾市には400年の歴史を持つ多くの寺が集まる「山の寺寺院群」という文化遺産があります。能登大震災でこれら全ての寺院が損傷、倒壊しました。能登七尾に残る貴重な文化遺産を復興し観光地として更なる発展をすることがこれからの能登には大切であると考えます。どうか皆様のご協力をお願いします。
能登 七尾文化遺産山の寺寺院群
一箇所にこれほど多くの寺院が集まるのは国内でも珍しい
はじめに・ご挨拶
先祖から託された使命として
私たち山の寺寺院群復興プロジェクトチームの紹介
能登の宝「山の寺寺院群」を救うため復興プロジェクトとして有志を集め
クラウドファンディングを立ち上げました。
「400年の歴史ある能登の宝を未来の子供達へ」
チームのメンバーも全員地元の仲間。少なからずですが被災者です。
そんな微力な私たちがどこまで復興出来るかはわかりませんが生まれ育った能登の未来を守るため、1人でも多くの方にこのプロジェクトを知っていただき、ご支援いただけるよう。
精一杯頑張ろうと思います。
能登の思いが未来の希望を創る
「山の寺寺院群」どの寺にも長い歴史とともに語り伝えられた逸話や前田家とのつながりを感じさせる文化財が多く残っています。ただ、すぐに修復できないもの倒壊した下に埋もれた文化財は未だ手付かずのまま残っています。
なぜなら宗教法人は国からの補助金はおりず、寄付をいただいている檀家さんも被災者であり大きな被害を受けています。多くの寺院が同じ理由で復旧に足止めがかかっている状況です。
各お寺にも家族がいます。そして多くの檀家さんにも守っていかなければいけないご先祖様がいます。未来の文化財であり信仰の拠点。能登を牽引する観光地として。今こそ、全国の皆さんのお力をお借りできればと思います。
これらのお寺は長らく地元の皆さんや観光者の願いを聞き、ご先祖の眠りや参拝者の心を癒していただきました。そのお寺が今、逆にみなさんへに手を合わせているんです。
多くの遺産と温かい絆がある能登のために共に未来を創っていきましょう。
復興プロジェクトメンバー
磯野直人 アートディレクター
初めまして、横浜でデザイナーをしている磯野です。今回のクラウドファンディングの進行、デザイン、プロジェクトリーダーを担当させていただいています。
実は被災されたお寺は私の実家が檀家であり、先祖が眠るお寺があります。
先祖からの使命だと感じ精一杯やらせていただきます。ぜひお力をお貸しください。
中山直史 ボランティア団体 ONEチーム七尾
前田利家公の能登入府以来の歴史と伝統が根付いて、市民や観光客の方々に親しまれた山の寺寺院群、各お寺に語り継がれてきた歴史があり、受け継がれてきた寺宝があり、四季様々な行事が行われてきましたが、今その伝統が危機に瀕しています。
能登の宝、七尾の宝である寺院群再建の為皆様のお力が必要です。
どうかお力添え宜しくお願い申し上げます。
木下康久 カメラマン・看護師
私は能登半島出身であり、その美しい自然と素朴な人々に囲まれて育ちました。
しかし、ある日突然、大災害に見舞われ、多くの人々が困難に直面する現実を目の当たりにしました。
能登半島のために私の限られた力で何ができるのかはわかりませんが、責任感と情熱を持って、全力で取り組みます。どうぞ宜しくお願いいたします。
山の寺寺院群道交会よりあいさつ
高木繁徳
日蓮宗 長壽寺 住職
山の寺寺院群道交会会長
山の寺寺院群の一つ、長寿寺の住職であり寺院群の会長を務めさせていただいてます、
高木繁徳と申します。この度、能登伝統の寺院群の各お寺を復興させ、未来への繁栄を願い、みなさんのお力を借りて重要文化財などの多くの寺宝を保有する寺院群を守っていければと思います。
私もそうですが他のお寺でもそれぞれ家族がいて子供がおります。
400年続いた歴史をこれからの子供、孫にも繋げるのが私の勤めだと感じています。
どうか、みなさんのお力をお貸しください。
高僧英順
浄土宗 常通寺 住職
山の寺寺院群道交会副会長
山の寺寺院群復興は私たちの心の復興でもあります。被災地の寺院が再びその美しい姿を
取り戻し、人々の平穏な心を育てる場となることを願っています。
痛みとともに喜びも分かち合える寺院になるために、皆様の温かいご支援をお願い申し上げます。共に歩みを進め、被災地の復興を支える力となりましょう。
北原隆義
真言宗 妙観院 住職
山の寺寺院群道交会副会長
山の寺寺院群は歴史と文化の宝であり、地域社会の絆を育む大切な存在です。
被災地の寺院が復興することは、地域の再生と希望を象徴するものとなるでしょう。
私たちは、仏様の支えを受けて日々の生活を送っています。
今度は私たちが寺院を支える番です。皆様の温かいご支援をお待ちしております。
共に能登の復興に貢献し、寺院の輝きを取り戻しましょう。
山の寺寺院群とは
山の寺寺院群が誕生したのは約400年前。天正年間に加賀藩祖前田利家が奥能登方面から
小丸山城を守ることを目的に、浄土真宗を除く各宗派の寺院29カ寺を陣地として高台に移転させたのが始まり。
浄土宗、曹洞宗、日蓮宗、法華宗、真言宗による多数の寺院が現存している。
どの寺にも長い歴史とともに語り伝えられた逸話や前田家とのつながりを感じさせる文化財が残っています。
一箇所にこれほど多くの寺院が集まるのは国内でも珍しい
それそれの寺院が保有する貴重な文化遺産がある
前田利家が能登で建立した唯一の寺院「長齢寺」
長齢寺は、前田利家が能登で建立した唯一の寺院。
山門をくぐった先には美しく苔むした庭園が広がっています。
長齢寺は、前田家と非常に関係が深く、前田利家の両親の墓もあり、県内唯一の前田利家・利長石廟のある寺院でもあります。
長齢寺には、前田家一族の肖像画 ゆかりの品々常設展示が行われています。
長谷川等伯の息吹を感じる山の寺寺院群
長谷川等伯は、石川県七尾市に生まれ、染物業を営む長谷川家の養子となりました。
雪舟系画人の等春に学んだとされる養父に画技の手ほどきを受け、北陸地方を中心に日蓮宗関連の仏画や肖像画を主に制作していたとのこと。
本人も日蓮宗の熱狂的な信者であり若い頃の等伯はこの山寺と共に過ごし、仏画を残したのではないでしょうか。
晩年は千利休とも交流があり、のちに豊富秀吉の依頼で障壁画を描くことになります。
前田利家とも関連が深いですが、数多くの日本を代表する絵師として活躍する長谷川等伯の作品が多く残るのもこの山の寺寺院群の特徴です。
・日蓮宗 實相寺には日蓮聖人像(七尾市指定有形文化財)
・曹洞宗 龍門寺には達磨図(石川県指定有形文化財)
・日蓮宗 本延寺には日蓮聖人坐像(七尾市指定有形文化財)
・等伯のおじいさん長谷川無分の涅槃図(石川県指定有形文化財)が長壽寺に。
・長谷川派の長谷川等誉の涅槃図が日蓮宗 成蓮寺に保管されています。
山の寺寺院群は小丸山城を守るための寺院だった
織田信長の指示により越前国府中城10万石の領主から能登一国の国主となった前田利家は1581年(天正9年)、七尾城に入城した。
しかし七尾城は防御上は利点があったが港から離れていて治世・経済上の利便性に難があった。そこで利家は七尾港に近い所に平山城を築くことを決定し七尾城から移り住んだ。
1582年(天正10年)に小丸山城を築城。河川と海が堀の役割を果たし、能登水軍の本部の役割も成していた。利家は、さらに周囲に29の寺院(山の寺寺院群)を建立し、能登半島方面からの敵襲の守りを補った。
未だ被災の爪痕が残る寺院
重要な前田家が眠るお墓も荒れた状態の長齢寺
前田利家が能登で建立した唯一の寺院「長齢寺」前田家初期の人物の墳墓、供養塔、肖像画などが多く残っています。
地元の子供達の遊び場としても利用されていた本堂
子供達が学校の休みの日など遊び場としても使われていた本堂。寺院が自宅をかねているところも多く、今も避難所で寝泊まりをしているお寺のご家族もいます。
完全に原型を留めていない本堂。
本堂が完全に全壊してしまった寺院も存在し、未だ解体・回収もできない状況です。
能登特産品を返礼品に
今回能登の文化遺産である山の寺寺院群のため復興のための返礼品として能登の特産品を使用させていただくことにプロジェクトチームで決めました。山の寺を復興し、また同時に地元の産業も潤ってもらう。能登一丸となって山の寺を復興させ、再び寺院群の鐘の音を次の世代まで繋げていければと思います。
参加に協力していただいた七尾市の高澤ろうそくさんや輪島塗の輪島塗 ぬり工房 楽さん、ふくべ鍛冶さん。七尾市の和菓子屋さんには本当感謝いたします。職人さんの手で一つ一つ手作りしますのでお届けが少し遅れるかもしれませんが必ずお礼と共にお送りいたします。
改めて能登には素晴らしい産業と職人の技術があったんだと再認識いたしました。
また、この度大阪より各お寺に修理などのアドバイスをしていただいた現代の名工、川瀬龍覚さんも古来よりの特殊な技法でお守りを製作していただけることになりました。川瀬さんは「黄綬褒章」を授賞、日本最古の社寺建築で知られる金剛組の元棟梁であり現在、寺社技術研究所の会長を務めています。
応援コメントが届きました
矢野忠義
一般社団法人たすけあいジャパン ディレクター
災害派遣トイレネットワーク 事務局長
1月1日の発災以来、七尾市含め能登半島各所へ22台のトイレトレーラーを派遣し、延べ25万人・118万回のトイレを提供、今なお11台が支援を続けています。
こうした支援を通して感じたことのひとつに、文化の復興なくして、本質的な復興とは言えずという思いを持っています。
お祭りや神社仏閣、公園や公民館も、被災者が拠り所としていた、生まれながらにして密接に繋がっていたモノゴトの復興がないと、元の普通は訪れないのではと。
そんな思いから、今回の取り組みを応援しています。文化の再建に、被災者のココロへの寄り添いをお願いします。
ご支援の使い道
皆様からのご支援としては、以下のような取り組みを予定しています。
1. 各お寺の建物修復: 本堂、山門、鐘楼堂、庫裡など修復を行い、お寺の歴史的価値を守ります。
2. 瞑想の道復旧:各寺院へ参拝者が通る遊歩道を修復し復活させます。
3. 仏像・経典復元: 被災した仏像や経典の修復を行い、宗教的価値や文化遺産を守ります。
最後に
能登七尾の「山の寺寺院群」の復興には、皆様のお力が不可欠です。ぜひこのクラウドファンディングにご支援いただき、被災したお寺の再興にご協力ください。ご支援は全額復興事業に充てられます。
このままでは日本の重要な文化財と共に能登への観光資産を失うでしょう。
一人ひとりのご協力が、能登の子供達の未来に繋がり、被災者の希望を取り戻す大きな力になります。どうぞよろしくお願いいたします。
支援金の使い道
集まった支援金は以下に使用する予定です。
●設備費
●人件費
●リターン仕入れ費
●解体費
●修繕費
※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
磯野直人
中山直史
木下康久
矢野忠義
紅山子(こうざんし)
石川県 〒920-8580 石川県金沢市鞍月1丁目1番地 電話番号(代表):076-225-1111
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
空飛ぶ捜索医療団 ヘリコプターによる救助
空飛ぶ捜索医療団・船舶による水や食料などの物資支援
緊急支援チームは、これまで捜索救助チームと医療チームに分かれて活動。捜索救助チームは、災害救助犬2頭とともに、消防、自衛隊と連携して土砂崩れや津波被害、倒壊の激しい地区にて捜索活動を続けています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-8 TOKIO 2020【令和6年能登半島地震】空飛ぶ捜索医療団・船舶による水や食料などの物資支援を開始
https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/51206972
能登町の紹介
能登町(のとちょう)は、平成17年3月1日、能都町・柳田村・内浦町が
合併して誕生しました。
能登半島国定公園
○位置
能登半島の北東部に位置し、北は珠洲市と輪島市、南西は穴水町に隣接し、東と南は富山湾に面して海岸線が続き、海岸線の大半は能登半島国定公園に含まれています。
○地理
外浦の豪壮な海食景観に対して、富山湾に面する内浦の柔和な沈水景観は、九十九湾や遠島山など好風景を現しています。北西端にはブナ林で知られ、展望が楽しめる鉢伏山(海抜543m)があり、町域の約8割が丘陵地となっています。
これらを水源として、町野川・山田川・寺田川・梶川・松波川・九里川尻川が日本海に注いでいます。
当地の地形的特徴は丘陵地が海岸にせまり、海岸段丘の発達が見られます。特に東側の海岸線は屈曲に富んでおり、当地の地形的特徴は、山、川、海の豊かな自然環境に恵まれているため、天然の良港が形成されました。
そして、市街地や集落は、生業に応じて海岸部や、山間部の川沿いを中心に形成されています。
○気候
気候は、日本海特有の四季が明瞭で、冬季の降雪も全国的に見れば多い方ですが、年平均気温は13℃前後で、年降水量は1,700mm前後と、北陸地方としては比較的住みよい風土といえます。
○歴史
海岸部では古くから漁業が行われ、旧柳田村、町野川中上流地域や旧内浦町一帯では、中世に大規模な公田を含む広大な荘園が開発されました。戦国時代には、松波畠山氏が松波に居城し、藩政期には、一部を除き前田家の所領に組み込まれ、その後宇出津港や小木港は、漁業・商業で栄えてきました。
また、国指定史跡である縄文時代の真脇遺跡など、旧石器、縄文、弥生時代の遺跡が多く残っています。
○文化
本地域は、自然の恵みへの感謝の気持ちや神への信仰心が篤く、あばれ祭をはじめとする祭りが各地区で盛んに行われているほか、国指定重要無形民俗文化財のアエノコトやアマメハギなどの民俗風習が今も受け継がれています。
石仏山祭
打ち鳴らす太鼓を合図に石仏山へ入り、急な坂道を登ると、中腹に前立(まえだち)という高さ3m、幅0.6mの巨石があり、左右に小さな石が並ぶ。これは大己貴命(おおなむちのみこと)の霊代とされていて、ここが祭場となり、巨石の中頃にしめ縄をした前立の前に参集し、神饌(シンセン)を備え、その年の豊作を祈ります。
石仏山は潔界山とも言われ、今日までも女人禁制の霊山。
石仏山は古代の祭祀遺跡であり、社殿のない神社として古来尊崇されてきた。石神信仰におこり、中世の修験道の霊場信仰を経て、麓ムラの神社の祭りとなってからも祭祀組織の当耶制が行われており、また石仏山の神を降ろして祭った後、田の神として里に降りられて春の農耕が始まることなど、民間信仰との強い絆があります。
日時:毎年3月2日
場所:能登町柿生地区
追記
序に奇祭" 石仏山祭 "をご紹介しましょう!
「石仏山祭」長崎県の対馬でも同じようなお祭りがあり、きっと歴史的な繫がりが有るかもしれませんね?ご参考までにご紹介しました。
大変に興味深いお祭ですね〜!
能登町では、吃驚する程沢山の不思議なお祭りがあり、一年を通して何処かの地区で何らかのお祭りが行われているようです。どのお祭りも背後にローカルな、深い歴史が有りそうで大変に興味深いものです。祭女・祭男(要注釈)?は「ふるさと振興課」に尋ねてみて下さい。どの祭りも大変に興味深い。
昨年同様、今回ご協力いただいたのは「ふるさと振興課」さん。
能登町役場で商工業振興、観光振興、観光施設、イベント、特産品、、シルバー人材センター 、新エネルギー、国際交流、地域づくり等手がけられて居られます。つい、気軽に相談したくなっちゃいますね…。
きっと町民の方たちにとってはとても心強い存在なんでしょうね!
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