福島の姥神たち・郡山市西田町根木屋 他
今回も前回から引き続き、福島県郡山市にある姥神像を紹介したいと思うのですが、その前に、姥神像と奪衣婆像の違いがわからないという問い合わせがあったようです。地獄信仰として祀られているものを奪衣婆像と呼んで姥神像と区別しているつもりではありますが、説明がわかりづらくて申し訳ありません。
そこで今回は、その違いを最初に説明させていただきます。
三途の川の岸辺にいるのが“奪衣婆”(だつえば)。(画像の右上)
・姥神の定義
あの世とこの世の境には三途の川があるという話は、日本人であればほとんどの方が聞いたことがあると思われます。その三途の川の岸辺にいるのが“奪衣婆”(だつえば)です。
奪衣婆は、亡者の服を脱がせる役目があり、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけます。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動きません。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになり、衣領樹は罪の重さを量る秤という考え方です。あの世で亡者の罪を量るという点で地獄の裁判官とされる閻魔様と同じような役割を持つためか、一緒に祀られることが多いです。
奪衣婆の姿は、目をらんらんと見開き、耳まで裂けた口には牙を生やした鬼婆の顔。そして片膝を立てて座り、はだけた上着からはあばら骨が浮き出た下に萎びて垂れた胸をあらわにしているものがほとんどです。
この奪衣婆に対しその姿が一緒であり、しかしながら閻魔王などと一緒ではなく単独で祀られているものが全国に見られます。これは姥神のほか、おんば様、姥尊、優婆尊、咳の婆など様々な呼び名で呼ばれ、信仰形態もまた様々です。
その姿が奪衣婆と同じで、しかしながら地獄信仰としてではなく、主に単独で祀られているものをこのシリーズでは統一姥神と呼称し、そして地獄信仰として閻魔像などと一緒に祀られているものを奪衣婆と呼称し、それぞれを区別しています。
・西田町根木屋立石地区
西田町根木屋立石地区にある姥神像
西田町根木屋立石のまとめてある石碑石仏
西田町根木屋立石の姥神像の説明書
郡山市の西田町根木屋立石地区の集落入口に石碑石仏がまとめられてあり、その一番高い場所に姥神像があります。そばに姥神像の説明書きもあり、うば様の呼び名に対してアイヌ語由来の考察をされているのが非常に興味深いです。集落の入口にあることから境界―姥神型として祀られたと考えられます。
・西田町大田宮田集会所
西田町大田宮田集会所の近くの姥神像
同市西田町大田、宮田地区の集会所の近くの丘の上に姥神像があります。堂などがないので集落の入口に配置されたのではないかと考えられ、境界―姥神型として祀られたのかもしれません。
・西田町大田国道奥
西田町大田宮田国道奥にある姥神像
同じく西田町大田、国道288号線から宮田地区に少し入ったところの丘の上に姥神像があります。道の横にあることからこれも集落への入り口にあったものと考えられ、境界―姥神型として祀られていたものではないでしょうか。
・舞木町集会所
舞木町集会所の姥神像
郡山市舞木町、舞木集会所に姥神像があります。集会所の敷地の中に他の石碑石仏と一緒にまとめてあり、おそらく違う場所から移されたものと思われます。近隣のほかの姥神像の多くが境界―姥神型であることから、同じように祀られていたのではないかと想像されますが、現在の状況からその祀り方について判別はできません。
・福久山町南小泉観音堂
福久山町南小泉観音堂の姥神像
郡山市福久山町南小泉の小泉観音堂に姥神像があります。境内の中、堂の横に他の石碑石仏と一緒にまとめてあります。このため先の舞木集会所のものと同じく、その祀り方について判別はできません。
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
橋場のばんば様
桧枝岐歌舞伎の舞台
福島県の桧枝岐村
福島県の南西にある桧枝岐村。人口500人強の小さな村ですが、尾瀬湿原や燧ヶ岳、会津駒ヶ岳などへの登山の拠点として、多くの登山客が訪れて賑わいを見せています。そのため、温泉宿が多く、また、日帰り温泉施設も「アルザ尾瀬の郷」、「燧の湯」、「駒の湯」の三つがあります。特に温水プール付きのアルザ尾瀬の郷は、桧枝岐村の道の駅である「道の駅尾瀬桧枝岐」に併設されていますので、なにかと使い勝手があります。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その28)~ 橋場のばんば様 (前編)~【寄稿文】 廣谷知行
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/17117483/
橋姫信仰とは
源氏物語「橋姫の 心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる」
宇治橋のそばに置かれた「紫式部」の像
前回、橋場のばんばを紹介した際に、橋姫について触れましたが、その橋姫信仰についてもう少し詳しく紹介します。 橋姫は橋の守り神として、滋賀県の瀬田の唐橋などにも祀られていますが、一番有名なのは京都府宇治市の宇治橋に祀られているものです。
その歴史は古く、平安時代前期の古今和歌集には、「さ筵に 衣片敷き 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫」の歌があります。また、源氏物語にも、「橋姫の 心をくみて高瀬さす 棹のしづくに袖ぞぬれぬる」との歌があり、これにちなんで宇治橋のそばに紫式部の像が置かれています。
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