ZIPANG-9 TOKIO 2020 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式【平和記念式典】について


  HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY


         令和 6 年(2024年) 8 月 6 日


              広島市

          The City of Hiroshima


広島平和記念式典の様子



             式   辞

本日ここに、岸田内閣総理大臣を始め、ご来賓各位、被爆者、ご遺族の方々のご臨席と、国内外から多くの皆様のご参列のもと、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を挙行するに当たり、原子爆弾の犠牲となられた多くの御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。


79年前の 8 月 6 日、一発の原子爆弾により、筆舌に尽くし難い悲惨な体験をした被爆者は「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という切なる願いのもと、被爆の実相を伝え続けています。


しかしながら、世界ではロシアがウクライナへの侵攻に際し核兵器による威嚇を続けるほか、安全保障体制の強化を掲げ核戦力の増強を進める国があるなど、核兵器の使用という現実的な脅威で緊張が高まっています。


日本国憲法前文では「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と謳われています。


戦後世代が大半となった現代を生きる私たちに求められるのは、自国のことのみに専念して他国を無視する国家の暴挙により平和が危機に瀕していることに目を向け、世界の誰もが平和を享受できるよう強い信念のもと連携して歩みを進めていくことです。


昨年 5 月のG7広島サミットは、各国の首脳が被爆地に集い、被爆者との対話を通して被爆の実相に触れた歴史的に大きな意味を持つ会合でした。


その中では「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が独立の文書として世界に発信され、平和をゆるがせにすることがあってはならないことを共有しました。


国際社会は、この意義に改めて思いを致し、戦争と核兵器のない世界を創造するための具体的な行動へと繋いでいくことが重要であり、被爆地広島が果たすべき役割はますます大きくなるものと考えています。


私たちは、これからも平和を希求する人々と手を取り合い、世界恒久平和と核兵器廃絶の実現に向けて未来志向で全力を尽くすと、ここに改めてお誓い申し上げます。


本日の式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた御霊に対し、謹んでご冥福をお祈り申し上げますとともに、今なお原子爆弾の後遺症に苦しんでおられる皆様へ、より一層の援護をお願いいたしまして、式辞といたします。


令和 6 年(2024年) 8 月 6 日             広島市議会議長 母谷 龍典



平和記念公園 平和の灯り



              平 和 宣 言

皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。


平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。


戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。


また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。


1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。


皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。


争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。


昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。


NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去 2 回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年 3 月に開催される核兵器禁止条約の第 3 回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。


本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。


令和 6 年(2024年) 8 月 6 日           広島市長 松 井 一 實



広島平和記念公園案内図



平和への誓い

目を閉じて想像してください。
緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。
まちにあふれるたくさんの笑顔。
79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。


昭和20年(1945年) 8 月 6 日 午前 8 時15分。
「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。
立ち昇る黒味がかった朱色の雲。
人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。


被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。
言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。


今もなお、世界では戦争が続いています。
79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、
明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。


願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。


一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。
仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。


さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。
平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。
そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。


令和 6 年(2024年) 8 月 6 日                     こども代表

                                                                広島市立園小学校 6 年  加藤 晶

                      広島市立八幡東小学校 6 年 石丸    優斗



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

広島市役所 〒730-8586 広島市中区国泰寺町一丁目6番34号 電話:082-245-2111

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


広島「ローマ教皇と一枚の写真」


「焼き場に立つ少年」

元米従軍カメラマンが原爆投下後の広島、長崎を非公式に撮影、戦後50年間トランクに封印されたまま公開されなかった広島・長崎の真実とは・・・

胸中如何ばかりか・・・ 戦時下、男児は泣いてはならぬとする厳しい教育の元に躾けられた少年は正しく "気をつけ〜礼 "とする号令において、つま先、手先を揃え、歯を食いしばり、燃え上がる炎に不動で最敬礼の姿勢をとっています。 


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020「ローマ教皇と一枚の写真」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7350710



広島「日本と世界のより良い未来のため・・・」


広島市の平和記念公園内の広島平和記念資料館は東京大学教授(当時)丹下健三氏が設計したものです。


広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に、昭和30年(1955年)に開館しました。


平和への取組の背景と基本的な考え方

1 広島市の復興 ―広島平和記念都市建設法―

原爆により壊滅した広島市の復興を促進するため、憲法第95条に基づく特別法として、広島平和記念都市建設法が昭和24年(1949年)8月6日に公布・施行されました。


同法は、「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。」(第1条)と、広島市の都市建設の理念を掲げています。


この法律ができたことにより、広島市を世界平和のシンボルとして、国をあげて建設することが位置付けられました。


そして、広島市の都市づくりの方向性の決定、国からの援助の増大など、広島の復興や都市づくりに大きな役割を果たしました。


2 「世界に輝く平和のまち」の実現に向けて

77年前、広島市は原子爆弾によって壊滅的な打撃を受け、多くの人命と街が失われました。辛うじて生き残った人々は悲しみを乗り越え、75年間草木も生えぬと言われた廃墟の中から、たゆまぬ努力により、また、国内外からの温かい援助も受けて、めざましい復興を遂げました。


広島市は、「平和の象徴」、「希望の象徴」として、世界の人々から認められています。それは、被爆地ヒロシマとしての高い知名度だけでなく、世界の人々が、廃墟からの復興を評価し、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けている都市であることを知っていることに他なりません。


人類史上最初の被爆都市である広島市は、平和を願い、平和都市の建設を進めてきた先人の努力をしっかりと受け継ぎ、ヒロシマの願いである核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指す「まち」であり続けなければなりません。


そのためには、市民一人一人が被爆者自身の被爆体験や平和への思いを引き継ぎ、共有し、その思いを世界に広げ、各国の為政者が共感するようにしていく必要があります。


総理メッセージ

日本と世界のより良い未来のため、G7広島サミットの成功を。



本年、令和5年は、わが国が年間を通じて、G7議長国を務めます。北は札幌から、南は宮崎まで、一年を通じ、全国各地で10を超える閣僚会合が開催され、各国から政府関係者やメディアの皆さんなど多くの人たちが日本を訪れます。


そして、5月19日から21日には、私の地元、広島で、G7サミットが開催されます。広島は、緑豊かな中国山地と、静かで波平らかな瀬戸内海に囲まれた美しい街です。


私自身、G7各国のリーダーを広島の地でお迎えできることを楽しみにしていますが、世界の注目が集まる本年を通じて、日本各地が織りなす景色や伝統文化、食、そして最先端の技術まで、わが国の魅力を世界に向けて発信する機会が到来します。


今日国際社会は、コロナ禍に見舞われ、また、国際秩序を根幹から揺るがすロシアによるウクライナ侵略に直面し、歴史的な転換期を迎えつつあります。


力による一方的な現状変更の試みや核兵器による威嚇、その使用を断固として拒否し、法の支配に基づく国際秩序を守り抜く。———G7議長として、議論を牽引し、こうしたG7の強い意志を、歴史に残る重みを持って、力強く世界に示したいと考えています。


エネルギー・食料安全保障を含む世界経済、ウクライナやインド太平洋を含む地域情勢、核軍縮・不拡散、経済安全保障、また、気候変動、保健、開発といった地球規模の課題など、国際社会が直面する課題は山積しています。


G7の首脳が胸襟を開いて議論を深め、未来に向けてのアイディアとプランを明確に提示するよう、議長国として主導していきます。


また、G7議長年は、次世代の若者たちや、そのまた次の世代の子供たちが、世界の課題に目を向け、行動する貴重なきっかけにもなります。


明日の日本と世界の舵とりを担う彼らが、色々な場所と趣向で交流を深め、共に学び、サミットを体感できるような機会も用意します。


会合開催地の皆様、そしてそれ以外の日本全国の皆様のご協力も頂戴しながら、このG7議長年を一緒に盛り上げ、サミットと閣僚会合の成功に向けて、そして日本と世界の明るい未来に向けて、共に歩んでいきましょう。

                                                                                                         岸田文雄


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 広島市~平和の灯~日本と世界のより良い未来のため、「G7広島サミット」の成功を❣
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/40845256/



昭和生まれは、パンデミックを超えるための試練の時代だった。


広島県 原爆ドーム(正式名称:広島平和記念碑)


私こと色紐子(日原もとこ)の小5~6年生時代に通った本川小学校は、この原爆ドームの側を流れる本川(当時は太田川)の川向うに対面するように建っていた。(勿論、原爆投下の中心地だった。) ここで学んだ諸先輩たちの消息は誰も知らない。 合掌。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020  ー きょう広島は原爆の日 ー魂よ❣ ふるさとへ【日原もとこ(故)】寄稿文より
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/46464334



※現在、2400件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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