令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
日本のすぐれた文化財や自然の風景地などを保全し、利活用を通じて次の世代につなげる、公益財団法人日本ナショナルトラスト(所在地:東京都
千代田区、会長:安富 正文、※以下 JNT)は、新たに内閣府の認定を受けた公益目的事業「支援事業」として、「地域遺産支援プログラム(愛称:
トラスト・エール)」を開始します。
本プログラムでは、今年度より全国各地の自然・文化遺産の保存・活用を行う地域を募集し、選定して支援を行います。このたび、公募要領をウェブサイト上で公開し、エントリーを開始いたしました。
「地域遺産支援プログラム」のパイロット事業として、世界遺産白川郷で白川村と協働で実施した「茅刈りイベント」の様子
■「地域遺産支援プログラム」の概要
・公募を行い、地域遺産を地域が自立的に保存・活用しようとする活動に対して、ソフト面でのサポートを行います(助成事業ではありません)。
・JNTは、地域の課題に応じて専門家とチームを組み、地域と協働でプロジェクト型の事業に取組み、伴走支援を行います。
・サポートメニューは、地域で活動する団体の組織基盤の強化や、マネジメント体制づくり、調査や計画作成、ファンドレイジングなど様々。地域が資金調達を始めとしたノウハウを得て、「仕組み」をつくることで、事業終了後も活動が継続することを目指します。
・地域の希望に応じて支援内容や専門家を選定し、複数年度にわたり、地域の状況に応じて柔軟かつ丁寧にサポートを行います。
<公募内容>
1. 申請できる活動
JNTが定義する地域遺産(文化財等の指定や有形・無形を問わない)を対象とした活動など。
2. 申請できる組織等
・営利を目的としない民間の活動団体等
・自治体 ※「たねまき」(A型)が対象
3. 採択数
・「たねまき」(A型)~活動のための基盤づくり~
・「ひろがり」(B型)~地域遺産保全の仕組みづくり~ あわせて4件程度
4. 事業期間
最長3カ年度(希望する年数を申請書に記載)
5. 公募期間
2024年9月1日(日)~11月10日(日)
詳細はこちらから
http://www.national-trust.or.jp/prg-chiikiisanshien/
“未来へつなぐ地域遺産”
日本のすぐれた文化財や自然の風景地などを保全し、
利活用を通じて次の世代につなげます。
保護資産 白川郷合掌造民家【岐阜県大野郡白川村】
保護資産 旧安田楠雄邸庭園【東京都文京区】
保護資産 名勝旧大乗院庭園【奈良県奈良市】
保護対象 巻機山景観保全【新潟県南魚津市・群馬県みなかみ町】
保護資産 駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)【京都府京都市】
保護資産 トラストトレイン【静岡県島田市(大井川鐡道)】
■「地域遺産支援プログラム」実施背景
JNTは、2018年12月25日に設立50周年を迎え、日本の風土や文化に根差した新たな「日本型ナショナルトラスト」を目指すこととなりました。
JNTは、過去50年間にわたり、文化遺産などを直接所有・管理し、地域遺産の保全に関わる知識と経験、実績を築いてきました。そして、この度、そのノウハウを生かして、各地の地域遺産を取巻く多様な課題に対応し、より多くの地域に幅広い支援をするため、新たに「支援事業」を立ち上げ、その一環として「地域遺産支援プログラム」を実施することといたしました。
これまでに、岐阜県大野郡白川村、山梨県甲州市上条集落、大分県臼杵市でパイロット事業を実施しました。その他、過去の調査のフォローアップ、専門家や関係団体等へのヒアリングを通して地域の課題やニーズの把握に努めてきました。
なお、本事業の愛称である「トラスト・エール」は、放送作家の小山 薫堂様(当財団顧問)につけていただきました。
■今後の展開
今後のスケジュールは以下の通りです。本プログラムを通じて、全国各地で地域遺産を守る仕組みが作られ、持続的な取り組みが展開されていくことをねらいとしています。
<2024年>
7月 エントリー開始・公募要領公開
9月 公募開始
9~10月 事業説明会(個別相談の場を設けます)
11月 申込締切
<2025年>
1~2月 支援事業委員会(本選考会)
3月 採択結果通知
5月 採択地域で事業開始
■公益財団法人日本ナショナルトラストとは
日本のすぐれた文化財や自然の風景地などを保全し、利活用しながら次の世代につないでいくことを目的として、1968年12月25日に設立された団体です。英国の環境保護団体である「ザ・ナショナルトラスト(The National Trust)」をモデルにしています。これまでに300件以上の地域遺産の調査を実施したほか、取得などにより地域遺産を保護し公開・活用を行っています。
■関連情報
●地域遺産支援プログラムの運営事業費を募るクラウドファンディング
タイトル:日本ナショナルトラスト|地域遺産はみんなの宝。ともに未来へ繋ごう。
実施時期:2024年5月22日(水)12:00~7月17日(水)23:00
目標金額:1,000万円(All-in形式)
クラウドファンディングのページはこちらから
https://readyfor.jp/projects/JNT2024
●地域遺産の保存・活用事例を紹介するオンラインイベント
タイトル:地域遺産トーク~あなたにとって地域遺産とは?~
実施時期:2024年7月14日(日)15:00~16:30
開催方法:オンライン(Zoom)
オンラインイベントのページはこちらから
https://jnt202407.peatix.com/
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
公益財団法人日本ナショナルトラスト
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください
はじめに 記事をお届けするに当たり、今夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。
やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。
今私達は世界平和の為に何が出来るか…?貴方が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが御恩返しに繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌
雲海と天の神様からの手紙ともいわれる真白な雪に覆われる白川郷。
4月頃には、上流のひだ荘川では春の訪れを知らせる荘川桜が咲き、紅殻格子の似合う町高山では毎年4月14日 、15日の春の高山祭、さらに隣町の飛騨市では、気多若宮神社の例祭として毎年4月19日・20日に古川まつりが執り行われると、いよいよ飛騨の里に本格的な春が訪れます・・・
おっと~忘れるところでした…例年3月1日の正午頃、卒業証書授与式後に行われる斐太高校の伝統として長く伝わる『白線流し』を・・・
白線流し
今なお、瞼に焼き付いた
青春の甘酸っぱい想い出…
旧制中学以来の伝統行事『白線流し』
学校前 を流れる大八賀川をはさんで校舎側に在校生が、対岸には卒業生が思い出深い学び舎に向かって立ち、互いに惜別の歌を歌いながら感慨にふけります。そのとき、卒業生らは制帽の白線とセーラー服のネクタイを1本に結び合わせて永遠の友情を誓いながら、早春の川面に3年間のなつかしい思いを込めて流すのです。
胸キューン ‼ですね〜
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020~古今折衷~白川郷の継承と躍進とは「白川郷らしさを取り戻し、地域の未来を創っていくこと!」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7510052
白川郷の上流 飛騨高山の奥座敷 荘川
荘川の里
飛騨と聞くと全国の皆さんは、恐らくまず一番に先日、世界文化遺産の一つに登録された「高山祭」の高山を連想されると思います、次に世界遺産の「合掌造りの郷」白川郷、そして「古川祭・起し太鼓」の古川、「スーパーカミオカンデ」の神岡、さらに温泉郷の「平湯」、順位の多少の違いはあるが、当たらずと雖も遠からずではないかと思います、如何ですか?
荘川桜
本日ご紹介するのは、東海地方の地元の方たちでさえ、名前は聞いたことはあるが、どんな所なのか行ったことがないと言われる方が多い「飛騨高山の奥座敷」ともいうべき【荘川(しょうかわ)】です。荘川は自然環境に恵まれた心が癒される水と桜と森の郷です。
2016 年 の 拡 張 登 録 の 承 認 に よ り 、 荘 川 地 域 全 域 が 白 山 ユ ネ ス コ エ コ パ ー ク の エ リ ア と な り ま し た 。荘川には 自 然 、 ふ る さ と の 景 色 が 満 ち あ ふ れ て い ま す 。
実は、50年以上飛騨に通っているにも関わらず、かく言う私もその内の一人で、荘川と聞くと静かな山の中の別荘地、ついで、鮎やあまご釣り位しか(失礼)頭に浮かびませんでした。
今回、世界文化遺産の一つに登録された日本の【山・鉾・屋台行事】の朗報に接し、飛騨の再調査をしはじめて「荘川」の事を詳しく知ることが出来たわけです。
それでは、まず荘川の歴史から紹介致します。
荘川の歴史
江戸時代末期までは、現在の「荘川」と世界遺産の「白川郷」は一つの村で、「白川郷」と呼ばれていたそうです。
はじめて知りました!
富山県まで流れている庄川の最上流にあった村が現在の「荘川」で、下流の村が現在の「白川郷」だそうです。明治に入り白川郷が二分割され、先に下流の村が「白川郷」と言う名前を登録され、困った上流の十八ヶ村は、かって白川と呼ばれていた川に荘園が出来て庄川と呼ばれたので、村の名前を「荘川」と名づけたそうです。
飛騨弁を研究されている大西佐七さんによると「飛騨で最も早く開けたのが、現在の荘川・白川郷のある地で、平安末期に藤原氏が白川荘という荘園を所有していた。」とのことです。
文化
荘川民謡
民謡は、谷や川に沿って伝わると云われ、それに沿う街道を運ばれます。ここ荘川でも、「庄川」に沿う「白川街道」により伝えられた民謡や、郡上へ通じた「郡上街道」を通して持ち込まれた様々な民謡が伝承されています。山深い隔絶された地域で、それらの民謡が歌い継がれて発達成長し、荘川地区独特の民謡となり、現在も民謡保存会の皆様により保存・伝承活動が続けられています。又地域の産業とともに創作された様々な歌が伝承されていますが、本サイトでは、「盆踊り歌」「祝座敷歌」の一部を紹介いたします。
荘川盆踊り歌
荘川甚句
飛騨にある唯一の「甚句」です。「返し」があり相撲甚句との関連は不明ですが、荘川を代表する民謡の一つで、「日本民謡大観」(日本放送協会編)に楽譜つきで紹介されています。
荘川千本搗き
伊勢神宮の遷宮の際に行われる地搗き作業に由来しています。伊勢音頭に起源があるようで、その特徴を残しています。荘川を代表する民謡の一つで、「日本民謡大観」(日本放送協会編)に楽譜つきで紹介されています。
荘川よいとそれ
囃しに「ヨイトソレ」と言うのでこの題名になっています。長野県諏訪地方の盆踊り歌で、糸引き工女達が持ち込んだもので、飛騨中にわたっています。荘川では、三味線、太鼓などで華やかな盆踊り歌となっています。
荘川えっさえっさ
荘川を代表する軽快な歌で、誰でも手をつなぎ踊りの輪の中に入って行ける良さがあり、七七調口説き節なので長時間にわたって歌われます。
荘川ドッコイサ
郡上方面と荘川は昔より密接な関係があり、郡上街道を通じて文化的・経済的な交流がありました。この曲も石徹白(いとしろ)方面よりわたって来たもので、荘川各地の盆踊り歌、回壇踊りで盛んに踊られる軽快な曲です。
祝座敷歌
荘川おけさ
《おけさ節》は九州で発生した《ハイヤ節》が、日本海側を北上しながら各地に定着したものと言われており、「荘川おけさ」は、越後の《はねおけさ》によく似ており、三味線芸人の「ごぜ」や、庄川での木材運搬の「木流し人夫」たちにより持ち込まれ、変化したものではないかと考えられています。
荘川騒ぎ
「日本民謡大観」によると古い形の《相撲甚句》のくずしであるとされており、ほぼ飛騨全域に分布しています。酒宴の席でのさわぎ歌として、三味線やはやしもにぎやかに誰でもが興に入って歌えます。
荘川しょっしょ
飛騨地方全域に渡って分布している歌で、飛騨を本場としています。「そうそう」→「しょうしょう」→「しょっしょ」と変化し、それがこの民謡の名前になったと思われます。荘白川ではリズミカルで名調子な曲となっています。
荘川輪島
能登輪島方面で素麺製造の粉引き歌として歌われていたものが飛騨地方全域に分布した曲で、各地での変化の状態からみて歴史的にかなり古いものです。最近では《能登麦屋節》としてレコード化されていますが、荘白川ではその古い名前である《輪島》をそのまま伝えています。
荘川古大臣
新潟県中魚沼郡十日町の「広大寺」にまつわるザレ歌が基で、三味線芸人の「ごぜ」さんたちにより日本各地に広まりました。 荘白川には「広大寺節」が《古大臣》として伝えられ、関東の《八木節》はその兄弟歌です。荘白川郷では、三味線伴奏に合わせてリズミカルで独特な味わいの名曲です。
日本一!30頭の連獅子が舞う 荘川
山々が真紅に染まる10月、町内各神社より30頭の獅子が集まり、山里の郷愁を想いおこすかのように、壮大な舞をくりひろげます。
町内の人々が集まり、1頭につき3名、笛、太鼓他、総勢120名が獅子の舞を披露します。 ふるさと祭りの目玉として獅子の共演を考案し、各神社にお願いされたところ、30頭の獅子が集まり、行われるようになったそうです。
30頭の獅子は同じように見えますが、各神社により特徴があり、頭(かしら)の形状、舞い方が微妙に違い、それを見比べるのも楽しみの一つです。
ここまでたくさんの獅子が1度に舞うことは日本全国を見ても珍しいです。
連獅子の舞いは午前・午後の2回披露しますのでどうぞお楽しみに。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「白川郷の上流 飛騨高山の奥座敷 水と桜と自然の郷【荘川】」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1772486
飛騨に秋の訪れを告げる「秋の高山祭(八幡祭)」
高山祭
春の高山祭(山王祭)・秋の高山祭(八幡祭)
春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭のひとつに挙げられています。
秋の高山祭(宵祭)
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
高山祭には動く陽明門とも称される「祭屋台」が春には12台、秋には11台曳き揃えられ、その豪華絢爛な姿を披露してくれます。また、総勢数百名におよぶ祭行列は、闘鶏楽や裃姿の警固など伝統の衣装を身にまとい、お囃子や雅楽、獅子舞に先導され祭地域をまわります。夜になると各屋台はそれぞれ100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾ります。飛騨人の意気が高まる高山祭。高山の揺るぎない誇りです。
追憶~上三之町
春は桜、秋は全山見事に紅葉し、その中を屋台とからくりが舞踊る恒例の高山祭。
山車と演者と見物客が一体となって盛り上がるあの、賑わいと興奮と喧騒は嘘のように終わりを告げると…人々は一体何処へかき消えたのか〜あれは、夢か現か?ひどく虚無感に襲われる。
一風呂浴びた後、ドテラを着込んで温泉宿を抜け出しそぞろ歩く、石畳を踏む下駄音がカラ~ンコロ~ンと古い町の軒先に響いた。
高山の夜更けは特別に底冷えがするのである。居酒屋の赤ちょうちんが心なしか揺れて見える。
男たるもの、いつの間にか、縄のれんを掻き分け、カウンター客に収まる仕掛けに他愛もない。
定番は朴葉味噌と一夜漬けを肴にチビチビと杯を重ね、仕上げはご存知高山ラーメンだ。
秋の夜長は時間がゆっくりと漆黒の闇に溶けていく・・・ 勘定済ませると、カウンター越しの女将にだったか…?隣の酔客にだったか…
別れ際に掛けた言葉は「またあわまいか・・・」だった。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~飛騨に秋の訪れを告げる~「秋の高山祭(八幡祭)の始まり」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4973414
55年ぶりに春と秋の祭屋台23台曳き揃え
赤い中橋を渡る高山祭 屋台
高山祭
16世紀後半から17世紀が起源とされる高山祭は、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」があります。
春の高山祭(山王祭)は日枝神社の例祭で毎年4月14日・15日に開催されます。また、秋の高山祭(八幡祭)は櫻山八幡宮の例祭で毎年10月9日・10日に開催されます。高山祭とはこのふたつをさす総称で、日本三大美祭(日本三大美祭とは 高山祭、祇園祭、秩父夜祭)のひとつに上げられています。
祭の起源は飛騨の領国大名金森氏の時代(1585年から1692年)、屋台の起こりは1718年頃といわれ、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技が生きています。
春の高山祭 屋台の特徴(山王祭の屋台)
神楽台(かぐらたい):屋台行列の先頭で屋台囃子(やたいばやし)を奏でる
三番叟(さんばそう):三番叟(能・謡曲)のからくり人形
麒麟台(きりんたい):飛騨の名工谷口与鹿(たにぐちよろく)による唐子(からこ)遊びの彫刻
石橋台(しゃっきょうたい):石橋(長唄)のからくり人形
鳳凰台(ほうおうたい):麒麟の彫刻、屋根の鉾(ほこ)
五台山(ごたいさん):円山応挙(まるやまおうきょ)が下絵を描いた刺繍幕、獅子の彫刻
恵比須台(えびすたい):谷口与鹿による手長、足長などの彫刻
龍神台(りゅうじんたい):龍神(謡曲)の舞のからくり人形
崑崗台(こんこうたい):屋根の金幣(きんぺい)、金塊(きんかい)を表したかぶら形の宝珠
琴高台(きんこうたい):中段に鯉の彫刻、鯉の刺繍幕
大国台(だいこくたい):屋根が揺れやすい構造、正面に出入口あり
青龍台(せいりゅうたい):入母屋造り(いりもやづくり)の屋根、金森家家紋の梅鉢紋金具(うめばちもんかなぐ)
秋の高山祭 屋台の画像と特徴は本文にて掲載。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「春の高山祭(山王祭)と 55年ぶりに春と秋の祭屋台23台曳き揃え ユネスコ無形文化遺産登録記念『高山祭屋台の総曳き揃え』のご案内」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2218255
ユネスコ無形文化遺産『古川祭 天下の奇祭・起し太鼓』
飛騨市 古川祭り 起こし太鼓
「男は祭りを そうさ かついで 生きてきた 山の神 海の神 今年も本当に ありがとう 白い褌 ひきしめた 裸若衆に 雪が舞う 祭りだ 祭りだ 祭りだ 豊年祭り 土の匂いの しみこんだ 伜その手が 宝物」
ご存知、北島三郎氏(作詞なかにし礼氏、作曲ご本人)の日本の心を歌った演歌「まつり」の一節である。
この歌にぴったりだと思うのが『古川祭・起し太鼓』である。この「祭」は「まつり」のためにあるのか、はたまた「まつり」は「祭」のためにあるのか「まつりの詞・曲」と「古川祭」が渾然一体となって心に沁みてくる。
日本の心「日本のまつり」、東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムに地域を彩る全国33の日本が誇るユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台」を集結、会場内にいる世界中のアスリートや観客だけでなく同時に衛星放送やインターネットで全世界に配信し、世界平和・日本の心「まつり」を是非披露したいものです。東京は勿論、日本のオリンピック・パラリンピックなんだから!
主催都市の小池百合子東京都知事、森喜朗公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会委員長、安倍晋三内閣総理大臣、イベント総合監督・演出家(未定)、誰でも構わない(失礼)2020年東京オリンピック・パラリンピックのフィナーレの演出の中に、日本の心「日本のまつり」を是非加えて欲しいものである。
飛騨古川祭り 絢爛豪華な屋台の曳揃え
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「飛騨の春はここから始まる!4月19日、20日 天下の奇祭、勇ましい起し太鼓、絢爛豪華な屋台の曳揃え、神事の御神輿行列 三位一体の『古川祭』」開催!
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2078567
飛騨の匠の技を結集した絢爛豪華な屋台
山里の陽は早く落ちる…知らぬ間に提灯の明かりが灯り、山車は山吹色に輝く
古くから「匠の里」として栄え、現在でも建築業に従事する人の割合が高いといわれる飛騨。奈良時代以降、高い技能を持っていた飛騨の匠たちは都に派遣され、藤原京や平城京、平安京の建築にも携わったと伝えられています。
万葉集や日本書紀、今昔物語、源氏物語などにも、飛騨の匠たちの真面目で一途な仕事ぶりや高い技術への賞賛が描かれているほどです。先人たちが磨いた技法は今に受け継がれ、建築はもちろんのこと、家具や一刀彫、陶芸、飛騨春慶塗りなど、飛騨を代表する様々な分野に活かされています。
古川祭は全国の33件「山・鉾・屋台行事」のひとつとして「ユネスコ無形文化遺産」に登録がされています。
飛騨市の魅力とは
伝統行事の奥深さを知る
揺れる灯りに縁結びの願いを込めて ~三寺まいり~
嫁を見立ての三寺まいり
白壁の土蔵が立ち並ぶ瀬戸川の川べり飛騨の女たちは和蝋燭に願いを込める・・・
飛騨古川に、200年以上も前から続く独特の伝統風習『三寺まいり』
その昔、飛騨から野麦峠を越えて信州へ糸引きの出稼ぎに行っていた年頃の娘たち。
300年以上も続く風習・三寺まいりは、その娘たちが着飾って瀬戸川の川べりを歩いて3つのお寺を巡拝し、それが男女の出会いのきっかけとなったことから、今では縁結びが叶うお参りとして知られています。
『嫁を見立ての三寺まいり』と飛騨古川の小唄にも歌われるこの三寺まいり。もとは親鸞聖人のご遺徳を偲んで3つのお寺に詣でるという伝統行事ですが、現在でも毎年1月15日の夜に和服を着た娘さんが、円光寺・真宗寺・本光寺の3つのお寺に、縁結びを祈願しながらお参りをします。
お寺には手作りの和ろうそく、町中にはいくつもの大きな雪像ろうそくが灯され、「良縁に恵まれますように」と祈る乙女の頬を明るく照らします。
起し太鼓は必見!~古川祭~古より伝わる飛騨の誇り
動と静の対比が見事
毎年4月19日、20日に行われる古川祭。
気多若宮神宮の例祭で、国の重要無形文化財にも指定されているこの歴史ある祭には、毎年多くの観光客が集まります。
19日の夜に行われる「起し太鼓」は、数百人の裸男に担がれた櫓の上に直径1mほどもある大太鼓に若者2人が背中合わせにまたがり、交互にバチを振り下ろすという勇壮なもの。付け太鼓と呼ばれる集団との攻防戦が夜遅くまで続きます。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-5 TOKIO 2020 ~飛騨は一つ~ 飛騨市(古川・神岡)編『伝統風習と全国に誇るふるさと自慢とは⁉』(その2)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/11228303
奥飛騨 飛騨三大祭『飛騨神岡祭』
可憐に舞う「舞姫」たちの可愛らしさ
雅楽の演奏に合わせて舞い踊る「舞姫」の優美さ、肩車をして立ち上がる「獅子舞」の勇壮さ、子供神輿の可愛らしさ――。その他にも、通称「チンカコ」「鳥毛打ち」と呼ばれる鳥の毛冠をつけた子供たちが、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら舞い踊る「鶏闘楽」、行列の途中で神輿が獅子組に何度か押し戻される「お神輿戻し」など、見どころ満載の飛騨神岡祭。かつて鉱山の街として栄えた山間の街・神岡が、1年で最も華やぐ日です。
また、祭見物の合間には、街中に数か所ある「水屋」で喉の渇きを潤すのがおすすめ。ミネラルたっぷりの美味しい地下水で休憩しながら、昭和の香りが残る近隣を街歩きしてみてはいかがでしょう。かつてここで育って都会に出て行った人たちが、子どもや孫に昔話をしながら歩く微笑ましい姿も見かける歴史あるお祭り。桜とともに楽しめる飛騨三大祭は毎年4月第4土曜日です。
雅な大行列は街をゆっくり進んでいきます
正午(12時)に大津神社を発輿する渡御行列は、平安絵巻を思わせる約700人余りの大行列。神岡町のメイン通りの西里通り・本町通りを笛、太鼓、鉦を打ち鳴らす祭囃子の中、進路を清める、天狗に似た鼻の高い猿田彦を先頭に、獅子、神楽、雅楽、鶏闘楽、奴、台輪と呼ばれる移動式の舞台で舞を披露する采女、小・中・大神輿が進む様は圧巻の一言。
渡御行列の終点となる本町通りのJAひだ神岡支店前では、社中芸能披露が催されます
(雅楽、鶏闘楽、獅子舞)。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「奧飛騨の里に春の訪れを告げる平成最後の祭り『飛騨神岡祭』明日は【本祭】」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6125568
下呂の田の神祭り(国指定重要無形民俗文化財)
飛騨路に春を告げる祭りとして知られる森水無八幡神社の例祭「田の神祭り」は、「踊り子」と呼ばれる4人の若者が色鮮やかな花笠をかぶり舞を披露することから、別名「花笠まつり」ともいいます。
いつごろから始まったのかは定かではありませんが、400年前とも500年前ともいわれ、稲の豊作を前もって祝う「予祝(よしゅく)」という、中世以来の「田遊び(田楽)」の芸能がそのもとになっていると考えられています。
昔から変わらず大切に受け継がれているこの祭りは、昭和56年(1981)国指定重要無形民俗文化財となりました。
祭りは、2月7日の「神主(テテ)頼みの儀」に始まり13日の試楽祭、14日の本楽祭まで厳かに行われます。
※森水無八幡神社(読み方:もりみなしはちまんじんじゃ)
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