ZIPANG-9 TOKIO 2020  安らぎの「心の文明」へ  「発酵文明」の提唱 1 −2 【寄稿文】 一舟・光秀


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


物質と心の融和は発酵文化 先ず視覚から五体全体へと導く


目指すのは 人の心の安らぎ

良き発酵は 個から 世界へ 

心の安らぎは自然の摂理平和

ものごとをやさしく包み創る

発酵は「発酵文明」へと向う 

まとめ役はデザイン・色彩だ


富山の旅でいくつかの美しい発酵的風景に出会った

二人の神仏混淆の鏝絵の微笑みは、日本ばかりでなく世界の平和をも後押しする

ともすると日本人はものごとを一つで見、考える。総ては全体と切り離せない関係で存在するのに、ものことを一つで評価したり、デザインしたり、作っては全体調和を阻害し、社会に迷惑であるばかりか、犯罪的であるなどとは夢にも思わない。思いやりのない国になったのは、明治からである。ここらあたりで再起動が、国内からより世界の波が必要だろう。


ユーラシア大陸の果ての海の列島にたどりついた人々は、海と山と四季の風土の魅力により、発酵する食のように文化を創り育てて来た。多くの渡来民族の坩堝の結晶こそ発酵文化である。そのいくつかの例を。


なんとも微笑ましい八百屋さんの看板に、伝統の街並みと心が一つになった


自然素材色と絶妙な淡い緑青色がなんとも知的なドミナンスの鏝絵博物館


宗教を超えて、誰もが穏やかにやさしく そして正しくあるべき心の逸品も


世界で最も美しいと思う日本の土蔵建築。白と黒の強く優しい形の扉も


富山では伝統とモダンと未来が一体である。うつくしき大胆な発酵デザインの心の街並み。


高岡市伏木気象資料館 明治16年


そして和の伝統ばかりでなく、こんなクールで見事な和洋折衷デザイン・色彩ができる
日本人もいた。


無粋な?コンクリートと一体に調和し、語りかける「デザイン・色彩」は、和洋折衷を超えて心に優しい日本の静かな発酵未来環境づくりの手本だ。


次はよくあるブリキに塗装のバス停ではなく 全く温かな人のためのバス停だ


ここには伝統的な地域の交通機能表示と、高岡新幹線駅の広大な現代環境にも共通する温かい色彩の発酵感性がつながる。



高岡市オフィスパークは 伝統とトータルデザインが活きる


前向きと幸せ感が人を呼ぶ能作のデザイン、それは秘められた伝統と未来である


穏やかな富山の自然と企業の製品と空間が一体で醸し出す発酵文化


環境に人の五感で最も欲しいのは飲食欲 建築も風景も 会社も産業も製品も一体で。 
一杯の美味しい時があって 社会に必要な企業になる。
ひと昔までは人は、客が来たら必ずまずお茶をだしたもの。


発酵には薬の役目がある。

以前にも述べたが幼少時に千葉県の東の端に近い田舎家に毎年現れる富山の薬売りの
表情と口上は、表出の二人の福の神の右の人物そのまま、愛想の良いお顔であった。
薬も温かい人の心でよく発酵し、薬効もあるのだと思う。


なんとも整然としかもゆったりと自社の思想と製品とを表現している、
デザイン・色彩の巧みさは富山の特質。


優れたモダンデザインは大事な伝統の美の根底が、次の武田家住宅の写真と繋がっていることでも分かる。


武田家住宅


武田家住宅にもあらゆるモダンデザインの哲学がある 機能 システム 空間心理 SDGs 人と環境の美学 それらが発酵し五感に迫ってくる。


存在を守るための心構えとも言える伝統と品格が道路環境でもわかる。


和の建築には裏側に廻ると 日本人が忘れた最も大切な美の哲学「陰翳」をヒシと感じる。


能登半島地震の影響のまだまだ残る、富山の風土と伝統文化、穏やかな景観に、
そして砺波の庄川の清流で育まれた若鮎に魅せられ梅雨前に戴いた。


その折りに美しき富山らしい、 これぞ発酵文化と勝手に思ういくつかのものごとに出会った。富山は伝統と現代のデザイン・色彩の宝庫である。
文化は一朝一夕でなるものでなく、数千年に渡る人の工夫洗練の努力の蓄積で発酵したものだと思う。


ふと考えると、
ほとんどの我が国の伝統文化には、どこかに発酵らしきカビに似たドミナンスがある。
それは、もののあはれ、侘び寂びにつながる、いうに言えない、芯の通った強い隠れた
通奏低音なのである。これを見落とすと日本文化は理解出来ないほどのものである。


砺波市庄川峡の清流で発酵し育まれた若鮎は、五感で満足し元気も戴いた。
こんなところにも五感総てで見ることができる発酵はある。


次回に続く・・・



【寄稿文】 一舟・光秀(林 英光)



環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
東京藝術大学卒業



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


 越中 城端曳山祭 提灯山 


城端曳山祭は「越中の小京都」と称される城端の江戸時代中期より続く春を彩る城端神明宮の祭礼。


先頭に立つ獅子舞と剣鉾が悪霊を鎮め邪鬼を払い、続く傘鉾が神霊をお迎えします。その後を庵屋台の情緒あふれる庵唄、伝統の城端塗の粋を尽くした曳山が続きます。夕刻からは提灯山となり、日中とは違う風情を楽しめるのも魅力。また、神様を迎える6箇所の山宿が見られる宵祭りも必見である。


5月4日宵祭、5月5日本祭が行われ、国の重要無形民俗文化財に指定されており、2016年12月、国内18府県33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。


「山・鉾・屋台行事」は,地域社会の安泰や災厄防除を願い,地域の人々が 一体となり執り行う,各地域の文化の粋をこらした華やかな飾り付けを特徴と する「山・鉾・屋台」の巡行を中心とした祭礼行事である。


祭に迎える神霊の依り代であり,迎えた神をにぎやかし慰撫する造形物である 「山・鉾・屋台」は,木工・金工・漆・染織といった伝統的な工芸技術により 何世紀にもわたり維持され,地域の自然環境を損なわない材料の利用等の工夫 や努力によって持続可能な方法で幾世にもわたり継承されてきた。


この行事は、旧城端町の城端神明宮の春の例祭で行われる行事で、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台が町内を巡行する。


4日の宵祭りでは、神明宮から3台の神輿が御旅所まで渡御する。各山町では曳山と庵屋台を組立て、神像を山宿に飾り付けて公開する。


5日は、神輿の渡御に続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。これらを曳くのは周辺部の人びとである。曳山は、二層四輪形式で彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りの豪華なものである。庵屋台は、底抜け屋台形式で、上部の飾りは精巧な作りである。囃子を演奏しながら巡行し、途中随所で若連中により庵唄が披露される。


城端曳山祭(国指定重要無形民俗文化財)宵祭


宵祭り

5月4日の夜は、野下町と新町の南端に隔年交替で築造される御旅所に、神社を出御された神様がお移りになる御旅の夜。このように、神社境内以外の場所に御旅所が建てられたのは、藩政時代には城端にだけ許されていた特例でした。


六カ町の若連中はその年の曳山順に従って御旅所へ参拝し、各町の庵唄を奉納します。宵祭は、日が暮れると町民たちが家族連れで御旅所に参詣し、各町の飾り山を見て歩きます。


 同じ日、曳山会館の広場では浦安の舞(午後7時)、南町の獅子舞(7時30分)、6カ町若連中の庵唄合同披露の演奏(8時)が行われます。その後、若連中は自町内をねり歩きます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「ユネスコ無形文化遺産 城端曳山祭 五月(さつき)にあらわす神々しき優美」


https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2302048



南砺市 香り高い8つの伝統と文化


五箇山合掌造り集落


南砺市について

香り高い8つの伝統と文化で、訪れる人々をお出迎え。

五箇山合掌造り集落=世界遺産 城端神明宮の曳山祭=ユネスコ無形遺産


平成16年に、8つの町村(城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福野町、福光町)が合併し、「南砺市」が誕生しました。 南砺市は、富山県の南西部に位置し、東に富山市、西に石川県金沢市、 南に岐阜県飛騨市や白川村、北に砺波市や小矢部市と隣接しています。


面積は東西約26km、南北約39kmと琵琶湖とほぼ同じ大きさを有しています。 その約8割が森林を擁し、市内には庄川や小矢部川の急流河川が流れるなど、豊かな自然に恵まれています。 


山間部には、世界遺産に登録された五箇山合掌造り集落があり、平成28年12月には、城端神明宮に曳山祭が無形文化遺産に登録されました また、平家の落人の哀愁を奏でる麦屋節や、 古えより歌い継がれる“こきりこ”などの五箇山民謡があります。


筑子(コキリコ)とは七寸五分に切った小竹の事です。この竹を打ち鳴らし唄います。
田楽の流れを汲む最古の民謡といわれており、平安・鎌倉・室町といった中世のおおらかで雅な様子を残す踊りです。 直垂衣装で踊る「放下僧のささら踊り」を鑑賞ください。


合掌造りの内部の柱のなんと太いこと、5寸~7寸5分角はありそうですね…
かって、地元の大工の棟梁から聴いた話だと、施主が柿の渋を塗り漆を掛けたもんだとか…


余談ですが・・・
そう言えば、近江では柱や羽目はベンガラ塗、大黒柱には1尺~1尺5寸角の欅をよくつこうてました 。比較的雪の深い木之本・虎姫・長浜・彦根~東近江・近江八幡辺り位迄・・・


平成21年3月に発行されたミシュランガイド(旅行)では、五箇山合掌造り集落が3つ星評価で紹介されるなど、世界中からお客様が訪れ、日本の原風景を楽しむ様子が見られます。


平野部には、家並みが美しい越中の小京都・城端や、板画家の棟方志功が約7年間暮らしていた福光、そして瑞泉寺門前の古い町並みから木槌の音が響く信仰と木彫りの里・井波など、香り高い歴史や文化があり、伝統の技も豊富にあります。 そして人情溢れる人が、訪れる人々をいつでも温かく迎えてくれます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「南砺市 香り高い8つの伝統と文化で、訪れる人々をお出迎え『世界遺産 五箇山合掌造り集落』編」


https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2295541



古き町に神の巡行 高岡御車山祭


高岡 職人の技術の粋をご覧ください 



平成の御車山

「平成の御車山」は、これまでの高岡において守られてきた伝統と技術を次の世代へ伝え、未来への発展を目指すシンボルとして、わが町高岡の誇りを具現化するものです。

平成25年度~平成29年度の5カ年をかけて制作しており、制作状況は高岡市役所観光交流課のページにて随時公開していきます。

デザインコンセプト

高岡の地名の由来である漢詩の一節から、
400年の歴史、歴史都市・高岡を表現。

「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に。」



高岡御車山 概要

高岡御車山は1588年(天正16年)太閤豊臣秀吉が、後陽成(ごようぜい)天皇と正親町(おおぎまち)上皇を聚楽第(じゅらくだい)に迎え奉るときに使用した御所車を加賀藩初代藩主・前田利家公が拝領し、二代藩主・前田利長公が1609年(慶長14年)に高岡城を築くにあたり、町民に与えられたのが始まりと伝えられています。


この御所車に鉾を立てたものが御車山で、高岡町民の心意気と財力に支えられ、安土桃山文化の格式を保ちつつ、高岡の金工、漆工、染色などの優れた工芸技術の装飾が車輪や高欄(こうらん)、長押(なげし)等に施された日本でも屈指の華やかな山車(やま)です。江戸時代の名工達によって7基が揃いました。


「高岡御車山祭の御車山行事」は国の重要有形民俗文化財・無形民俗文化財の両方に指定されており、これは日本全国で5件指定されている内の一つです。 

※他の4件は、京都祇園祭の山鉾行事 / 高山祭の屋台行事 /
 秩父祭の屋台行事と神楽(秩父夜祭)/日立風流物


毎年5月1日に行われる前田利長公を祀る高岡關野神社の春季例大祭で、高岡市内の開町当時から続く旧市街中心部を奉曳(ぶえい)巡行します。4月30日の宵祭りでは一部の山車(やま)のライトアップ展示を見ることができます。 (平成22年は御馬出町・守山町・小馬出町 午後6時30分~9時)



高岡御車山 沿革

1609年(慶長14年) 御車山附与 前田利長公御書御印(高岡關野神社蔵) 同年  前田利長公 高岡に入城 1610年(慶長15年) 御車山祭の創始 城内三の丸にて前田利長公の御覧に供す 1614年(慶長19年) 前田利長公御薨去 1775年(安永4年)  津幡屋与四兵衛 魚津にて入牢 1776年(安永5年)  与四兵衛祭 1909年(明治42年) 皇太子殿下(後の大正天皇)御台覧 (高岡開町300年)


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「古き町に神の巡行  高岡御車山祭 日本屈指の華やかな山車が揃います」


https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2289093



射水曳山第一話は、海老江曳山まつりです。


海老江曳山まつり(花山)


秋分の日から10月中旬までの3週間にわたり、射水市を代表する曳山まつりが開催されます。3つの曳山まつりでは総勢20基もの豪華絢爛な曳山が町内を練りまわります。


9月の海老江曳山まつりでは3基の曳山が、次に10月の新湊曳山まつりでは13基の曳山が典雅な曳山囃子を奏で、荘重なキシミを響かせ“イヤサー・イヤサー”の掛け声で潮騒の町を練り廻します。最後の大門曳山まつりでは4基の曳山が清流庄川の橋の上を優雅に曳き、町内を練りまわります。


3週間の間にこれだけの曳山を練りまわすところは他にはないのでは、それでは、豪華絢爛な曳山をご覧ください。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020~富山県射水で始まる海老江曳山まつり~「射水曳山の絢爛豪華な伝統の旅をお楽しみください!(第一話)」


https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4872053



射水曳山第二話 新湊曳山祭



新湊曳山祭とは

放生津八幡宮の秋季例大祭は、宵祭に海上より「御祖神、代々之祖達神」の御魂を迎え、次いでこの神霊を築山に降臨を仰いで祭事を行う。この築山が、車輪を付けて移動する曳山へと発展したと考えられており、 創始の年代は、いい伝えによれば、慶安3年(1650)の古新町曳山車といわれています。


また、延宝4年(1676)8月15日の放生津八幡宮例祭に曼陀羅寺から「法楽の引山」が曳かれており、300年前ごろにはいくつかの曳山車が曳かれていたと考えられます。元禄から享保のころ(1688~)には半数以上の曳山車ができ、文久2年(1862)には13本の曳山車が揃うことになりました。この放生津の曳山車は13本で県内では最も多く、絢爛豪華そのものであります。


みどころ

朝、放生津八幡宮前でお祓いを受けた曳山が、古新町の曳山を先頭に順番に出発します。 また、内川にかかる湊橋を渡るところも見所です。湊橋へとつながる道は直角のカーブを2回続けて曲がらなければならないため、引き手の腕の見せどころであり、曳山の曳き回しの中で最も迫力があります。



標識(だし)

曳山の尖端に飾る各町のシンボル。 昔は「出シ」と呼ばれていた。明治 後期以降、電線が架設され、引っ掛 けないよう、低くした町もあった。


あれから50年余りたちますが金尾力松会長、「富山中央木材」の大村社長やスタッフの皆さんにはお世話になりました。御礼申し上げます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 2018年10月射水~新湊曳山祭~「浜の男達の祭が始まる!曳山囃子の音色が響き勇壮な13基の曳山が躍る‼(第二話)」


https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4879088



庄川の歴史とともに歩んできた 躍動感溢れる芸術作品「大門曳山まつり」


大門曳山まつり


これまで海老津曳山まつり、新湊曳山祭とご紹介してまいりましたが、射水市秋の三大まつりの最後を飾るのは「大門曳山まつり」です。


大門曳山まつりは、大門神社・枇杷首神社の秋季例大祭になります。その起源については、記録は残っていないが、地元の諸々の伝によると創設は明治5年(1872年)頃と言われています。


この例祭は初め、河原町、枇杷首、西町、中町、田町の5基の曳山車で行われていました。明治23年(1900)から施工された庄川左岸大門地区大拡張工事により、河原町がなくなり、河原町の曳山が枇杷首へ枇杷首の曳山が蓮花寺(高岡市)に受け継がれ、行政区等の違いから、蓮花寺の曳山がなくなり、現在の4基になりました。

曳山 4基(田町・中町・西町・枇杷首)



①枇杷首神社でのお祓いを終えた4基の曳山

②車輪2つの珍しい形状は県内で2基

③息を合わせて持ち上げる瞬間

④曳山を体験する子どもは約200人

⑤車輪を持ち上げての方向転換。この日のため、千葉から帰ってきた人も

⑥目を奪われる絢爛豪華な曳山

新湊の曳山や高岡御車山と同じ型のものですが、枇杷首地区の花山車は2輪で大変珍しく、県内では高岡御車山の二番町とこの花山車しかありません。 


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020「絢爛豪華な大門曳山まつりは、大門神社・枇杷首神社の秋季例大祭である(射水曳山まつり 最終話)」


https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4886342



日本の伝統を受け継ぐ射水市 155の獅子舞が舞い祷る


当Webサイト読者の方からのリクエストは次のようなことでした。

「富山には、数多くの獅子舞があると聞いたことがありますが、射水にはどのような獅子舞があるのでしょうか?」というものでした。



それでは、射水の獅子舞をご紹介いたします。

射水市には155の獅子舞があり、130以上が保存会や青年団によって演じられています。天狗と獅子による躍動感のある舞をはじめ、燃えさかるたいまつを使う迫力ある舞、子どもが演じるキリコのかわいらしい舞などで見る者を魅了します。

獅子舞は、地区の春まつりや秋まつりで奉納され、それぞれに特徴・魅力があります。

その地区でしか見ることのできない華麗な獅子舞です。是非一度訪ねてみて下さい。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020~日本の伝統を受け継ぐ射水市~「 射水の町や村で今も脈々と受け継がれている155の獅子舞が舞い祷る【特別編】」


https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4889455



天地も躍動する!  魚津 たてもん祭り


勇壮な「魚津 たてもん祭り」


魚津 たてもん祭り 若者の笛や太鼓は祭りを一層盛り上げる。


たてもん祭り

”たてもん祭り”は、「じゃんとこい魚津まつり」の期間中に、開催されるメイン行事の一つになっています。 「たてもん」は、高さ約16mもある大柱に、90余りの提灯を、三角形につるし下げ、その下に絵額をつけ、長さ10m、総重量約5トンもある、そり台に立てて、80人程の人々よって、威勢よく曳きまわす船型の万燈です。


この形は、三方に贄者(にえもの)を、山と積んで神前に供える形をかたどったもの、あるいは全体が、帆をあげた漁船をかたどったものといわれ、また神前に供え捧げたてまつる言葉が、なまり「たてもん」と呼ばれるようになったといわれています。


”たてもん祭り”は、毎年8月第1金曜日・第1土曜日の夜、諏訪町の漁夫の宮「諏訪神社」氏子の町内から、7台の「たてもん」が繰り出されます。 「たてもん」は、はっぴ姿の威勢のよい若者によって曳き廻され、何百という美しい提灯のあかりが夜空を彩り、若者のかけ声が海上に響きます。


若者の力のほとばしりによる、「たてもん」の移動は、天地も躍動する感を与え、見る人の手に汗を握らせます。


たてもん祭りは豪快で、勇壮で、華麗で、その優美さは、まさに夏の夜の風物詩であり、魚津が誇る郷土行事の一つです。


この”たてもん祭り”の由来を探ると、約300年前から、大漁と海上の無事安全を祈る氏子の気持ちが、このような形となったといわれています。また、各町内が、いくつかの提灯を台上に吊して町内をかつぎまわったものが、その後、次第に提灯の数を増やし、明治の頃は25張、大正の始めは50張と数はさらに増え、今日のような形になったと伝えられています。


昭和47年10月には、7基の「たてもん」が県の有形民俗文化財に、平成9年12月には「魚津のタテモン行事」が国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。


昭和30年初期ごろは、諏訪神社の目の前は砂浜があり海が続いていました。「たてもん」も当時は、その砂浜を曳いており、下部がそり台なのはそのためであると言われています。諏訪神社の南側に鴨川があり、北側にも今は幅の狭い川が流れています。その両側よりも外側の町内は、たてもんを奉納するためにその川を渡ってきたと言われています。


魚津市内のありそドームや新川文化ホールには、たてもんの縮小版が展示されています。


たてもん祭りの2日目は、魚津まつり海上花火大会が行われます。花火大会会場は諏訪神社から歩いて10分程の距離、まずは花火を見て、その後たてもん祭りに移動するのがより楽しめますよ!

花火大会は7時45分ごろから打ち上げ開始です。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「天地も躍動する!  魚津 たてもん祭りは豪快で、勇壮で、華麗で、その優美さは、まさに夏の夜の風物詩『ユネスコ無形文化遺産』」


https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2304662



越中八尾に初秋の風が吹く おわら風の盆



八尾町とおわら風の盆

おわらの里・富山県富山市八尾町は、富山平野の南西部にあり、平野から飛騨の山脈に連なる街道筋の富山県と岐阜県との県境に位置します。八尾の名称の由来は、飛騨の山々から越中側へのびる八つの山の尾に拓かれた地を意味するといわれています。


かつて「富山藩の御納戸」と称されるほど経済力豊かな町で、街道の拠点として飛騨との交易や売薬、売薬用紙の販売、養蚕による収益などで繁栄していました。富山藩の財政を支えた八尾町民の心意気として、井波彫刻、高岡彫金、城端漆工など加賀藩の名工の作が惜しげもなく散りばめられた豪華絢爛な曳山祭(5月)などを始めとした伝統文化が数多く残っています。


おわら風の盆の開催区域である旧町と呼ばれる地区は、山の傾斜に石を積み上げ、安定させたその上に細長くできた高地に町並みを見せる坂の町です。今もなお昔ながらの風情を残し、昭和61年に「日本の道100選」に選定された諏訪町本通りや、通りの両側を流れる火防・流雪用水路「エンナカ」が奏でる水の音は、おわらの音色と共に平成8年に「残したい日本の音風景100選」にも選定されています。


情緒ある八尾町、町民の生活から見いだしたおわらの歴史は古く、「おわら風の盆」は八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事であり、町民の生命ともいうべき特別な存在です。


八尾町おわら風の盆 初秋の夜風に誘われて…情緒豊かに舞う編み笠の女が一人・・・


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 越中八尾に初秋の風が吹く おわら風の盆 」


https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6475442



春、井波彫刻で飾られた曳山や屋台、獅子舞がまちを練り歩く


天保4年(1833)、商売繁盛・家内安全を祈願する神事として始まった祭り。 大人が担ぐ神輿は3種類あり、子ども神輿と合わせて6つの神輿が町内を練り歩き、3つの獅子と4つの屋体とともに町内を賑わせます。担ぎ手が約10kmを巡行する様、そして井波彫刻の技が光る獅子頭も見どころです。 


井波 よいやさ祭


瑞泉寺の再建に端を発し,宮大工の鑿 (のみ)一丁から生まれた華麗にして豪壮な井波彫刻と,その木彫刻職人たちが造りあげたまち井波。彫刻工房と町家が軒を連ねる石畳の通りには、木槌の音が響き,木々の薫りが漂う。通りには至るところに七福神や十二支などの木彫刻が飾られ、まちはさながらに木彫刻の美術館のようです。


春には井波彫刻で飾られた曳山や屋台,獅子舞がまちを練り歩き,地域の安泰や五穀豊穣を祈ります。


地域の暮らしに根づく井波彫刻は,その高い技術力や芸術性を広く全国から認められ,今や日本の木彫刻文化の護り手となっているのです。 


日本遺産認定 木彫刻のまち「井波」

井波彫刻の町並み、メインストリート八日町通りの両側には井波彫刻の工房が軒を連ねる。
正面は井波別院瑞泉寺(山門、本堂)


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020~『日本遺産』井波彫刻とは~「木槌の音が響き、木々の薫りが漂うまち 井波(壱)」


https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5076087



伝統と和の工夫随所に 城端別院 善德寺


築約270年の城端別院 善徳寺 山門(富山県指定文化財)


山門の天井には、狩野派絵師による天女と迦陵頻伽が描かれ現在も色あせる事無く
当時のまま残されています。


山門 【県指定文化財】

現在の山門は文化12(1815)年に再建され、午前5時から午後5時まで開門しております。
楼上には釈迦三尊(左:阿難尊者、中心:釈迦如来、右:弥勒菩薩)が安置され、天井には狩野派絵師による天女と迦陵頻伽が描かれ現在も色あせる事無く当時のまま残されています。


明治時代に町を焼いた大火の際は目前まで火の手が迫り危うく山門が焼失するところでありましたが、町民は我が家に炎が迫り来ているにもかかわらず防火道具であった火消うちわを手に取り山門に集まり大工は山門屋根に登りました。そして炎に臆することなく向き合い降りかかる火の粉をはらい城端別院を守ったそうです。


町の人々は仏法の教えを聴聞し悩み、辛さ、苦しさを乗り越え心豊かに強く優しく生きて来られました。当時の人々にとって次の世代に残す財産とは金品等ではなく人間性を育てる心の場であったと云うことではないでしょうか。


山門楼上は涅槃会(2月14日)と虫干法会(7月22日~28日)には開放され、涅槃会では門信徒の皆様と楼上に上がり勤行と法話を勤めております。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「必見!県指定文化財の山門・本堂・太鼓堂、建築・工芸・絵画  伝統と和の工夫随所に 南砺市 『真宗大谷派 城端別院 善德寺』」


https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2308429



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/



ZIPANG-9 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

0コメント

  • 1000 / 1000