ZIPANG-9 TOKIO 2020日本遺産に選ばれた島根県の伝統芸能「石見神楽」特別公演開催決定!8月24日(土) 川崎市で2公演を上演


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)



島根県石見地域の伝統芸能「石見神楽」の特別公演をNEC玉川ルネッサンスシティホール(川崎市中原区)にて開催します。チケットは7月1日より発売。


一般社団法人MASUDAカグラボ(所在地:島根県益田市、代表:神田 惟佑)は、
「川崎市市制施行100周年記念事業川崎市・益田市都市交流 石見神楽特別公演」を
2024年8月24日(土)に上演いたします。


川崎市と益田市は平成25年にスポーツ・文化等の交流に関する覚書を締結し、今日まで様々な面において交流をしてきました。この度、川崎市市制施行100周年記念事業としてNEC玉川ルネッサンスシティホールにて、益田市の伝統文化である石見神楽の特別公演を行います。豪華絢爛な衣装と勇壮な演舞を是非会場でご覧ください。川崎市内で石見神楽が観れる貴重な機会です。ぜひお越しくださいませ。




   日本遺産にも登録された伝統芸能「石見神楽」



石見神楽とは、島根県西部の石見地域で演じられる神職神楽で、その由来は古く平安末期から室町時代に石見一円で祭事に併せ舞っていたものとされる。


江戸時代には出雲佐陀神楽が、歌舞伎や能の所作と融合させた神話劇の神能を演ずるようになり、爆発的に石見に波及され演劇化されていった。


その後、明治の法改正により、その土地の人々が神楽を演舞するようになると、活発な石見人の気性そのままに勇壮な八調子とよばれるテンポになるなど、改革も活発化。


神事でありながらも、演劇的要素が濃く、ストーリーも明快、舞もお囃子も激しく、胸のすくような爽快さと勇壮さがあるのが特長。


令和2年「神々や鬼たちが躍動する神話の世界〜石見地域で伝承される神楽〜」として日本遺産に認定。


石見神楽神和会とは

明治以降、島根県益田市内で崇敬の篤い氏子達が神職から神楽の伝統を受け継ぎ、会をなしている。


昭和45年に大阪万博に招聘され、その知名度が一気に全国へと波及することとなり、現在も世界・全国各地へ公演を積極的に行う。


石見神楽の各会、団体の発展や継承、後継者育成等を目的として集い、平成4年に「益田市石見神楽神和会」として市内9団体にて発足。


その後、市町村合併を期に14団体に。歳末助け合い石見神楽共演大会を通年にて開催、ほか数多くの市外県外公演に加え、近年はサウジアラビア、アメリカ南部、中米5カ国での海外公演を行う。現在は、11団体で活動しており、日本の伝統芸能として石見神楽の普及に努めている。



公演概要

日  時: 2024年8月24日(土) 

      午前の部 11:00~13:00(開場10:15〜)

      午後の部 15:00~17:00(開場14:15〜) 

会  場: NEC玉川ルネッサンスシティホール(神奈川県川崎市中原区下沼部1753-1)

料  金: 全席指定

      [大人]4,000円 <一般>

      [小人]2,000円 <中学生以下>

       未就学児無料 ※膝上鑑賞に限る

上演演目: 午前の部 十羅/紅葉狩/大蛇

      午後の部 天神/大江山/大蛇

出  演: 益田市石見神楽神和会

主  催: 益田市都市交流協議会

共  催: 益田市/萩・石見空港利用拡大促進協議会

後  援: 川崎市/(一社)川崎市観光協会/(一社)益田市観光協会

協  賛: 日本電気株式会社

企  画: (一社)MASUDAカグラボ

購入方法: 🔎イープラス 石見神楽 で検索
     (販売ページURL:https://eplus.jp/iwamikagura-km/)

      ※7/1(月)よりチケット販売開始


お問い合わせ:(一社)MASUDAカグラボ(0570-088-090)



上演演目

 公演当日は以下の演目を上演予定。



十羅(午前のみ)

日ノ本の国を魔国にしようと彦羽根なる鬼が船を操り攻めてきます。それを聞きつけた須佐之男命の末娘、十羅刹女が船上にて迎え撃ち、異国に帰るよう説得します。彦羽根はこれを拒否した為、激闘の末に異国へと追い返されます。女神と鬼女の戦い、その激闘には目が離せません。


紅葉狩り(午前のみ)

時の武将・平維茂は戸隠山へと狩りに向かう道中、道に迷い紅葉狩りを楽しむ女中に出会います。酒宴に誘われ、色香に惑わされた維茂は女に化けた鬼女に一命を奪われかけ…。八百万神から授かった神剣で旅人を取り食らう鬼女を退治する物語。鬼女たちの豹変ぶりに手に汗握る神楽です。


天神(午後のみ)

右大臣・菅原道真は、左大臣・藤原時平の虚言により、九州の太宰府へ左遷の身となりました。無念の月日を送る道真は、随神と共に天拝山に上り、無実を天に訴えるが病により非業の死を遂げます。その頃、都では雷に打たれ亡くなる者が続出。これは「道真公の祟りだ」とされ、遂には藤原時平も雷にて死を迎えました。道真公の無念を描いた神楽です。


大江山(午後のみ)

時の将軍、源頼光は都を悩ます大悪鬼・酒呑童子征伐を命じられます。頼光は家臣である渡辺綱、坂田金時ら四天王を従え三社祈願に向かいました。そこで神より人面鬼毒の酒を授かった一行は山伏に姿を変えて鬼の根城である大江山へ…。言葉巧みに童子の疑いをかわしつつ、頼光らは鬼たちを毒酒で酔いつぶれさせ、手下もろとも成敗するという武勇伝です。


八岐大蛇(午前・午後どちらも上演)

高天原を追放された須佐之男命は出雲国斐伊川の悲しき物語を聞き、大蛇に悩まされる人々を救うため自ら大蛇に立ち向かう。須佐之男命の勇壮な立ち回りや大蛇の迫力ある激しい芸に目が離せない石見神楽人気No.1の演目。


松竹株式会社の制作舞台「ZIPANGU 光が彩る演舞祭」にて


一般社団法人MASUDAカグラボについて

島根県益田市では、2020年度に益田市の石見神楽の保存と活用に向けた活動を行うため、「MASUDAカグラボ (当時:IWAMIカグラボ)」を結成。以降、従来の石見神楽関係団体だけではなく民間主体の動きが芽生え始めている。今後、益田市内だけではなく、全国を舞台に石見神楽の魅力を伝承していくなど活動の幅を広げるべく、2023年4月に法人化。井筒装束シリーズ詩楽劇「八雲立つ」、松竹株式会社の制作舞台「ZIPANGU 光が彩る演舞祭」など県外で多様な芸能とコラボした公演にも出演。


【会社概要】

社名:一般社団法人MASUDAカグラボ

本社所在地:島根県益田市幸町8番18号

代表理事:神田 惟佑

事業内容: 石見神楽の産業振興、後継者育成等

設立: 2023年4月



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください


石見銀山 大森町 石州瓦の町並み


石見銀山 大森町 町並み。地上から眺める石州赤瓦の古民家…上から観ても下から観ても伝統的な町の佇まいにはそこはかとなく風情がありますね~.


石見地方~なつかしの国 石見~

青い日本海、緑の山々、濁りのない清んだ空気に包まれた石見の景色は、誰にとっても懐かしい日本のふるさとです。そんな石見には、世界遺産や、石見神楽、温泉、グルメなど様々な魅力が詰まっています。その魅力をぜひご堪能ください。


島根県西部地方を石見(いわみ)と言い、世界遺産石見銀山」、日本遺産の津和野や石見神楽、ユネスコ無形文化遺産石州半紙・石州和紙(せきしゅうわし)などがあり、シロイルカバブルリングで有名な水族館アクアスも人気のレジャースポットです。


自然の恵みを受けた美味しい食材や、石見の誇りある伝統、歴史など都会ではとっくに失われた懐かしい伝統と、新鮮な驚きがこの石見には沢山見受けられるのです。


自然豊かな山々と、それらに対して鮮やかな石州瓦のコントラスト。美しい日本海に面した空と海が見渡す限りつながる心地良き数々のスポット、絵になる海辺、山辺の石州瓦の集落を眺めに旅しませんか?

ようこそ「なつかしの国 石見」へ。


石見神楽 竹灯籠 奉納

大勢のお神楽ファンが押し寄せていて、振り向くと後ろの席まで満ぱいの人気ぶり‼


石見神楽

日本神話を題材に、独特の哀愁あふれる笛の音、活気溢れる太鼓囃子に合わせて、金糸銀糸を織り込んだ豪華絢爛な衣裳と表情豊かな面を身につけて舞う石見神楽は、島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能です。


石見神楽 定期公演での様子!さあ~始まり始まり~


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 ~ なつかしの国 石見 ~(1)日本遺産 石見神楽の魅力とは!


https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7781549



石見地域とは(島根県)

浜田市 ,益田市 ,大田市 ,江津市,川本町 ,美郷町,邑南町,津和野町 ,吉賀町


石見神楽とは

賑やかで哀愁漂うお囃子の中で、豪華絢爛な衣裳を身にまとい演舞される石見神楽は、古来より石見地方に伝わる伝統芸能で、日本国内はもちろん、海外でも大きく評価をされています。2019年5月には日本遺産にも登録されました。


石見神楽 ゆっくり腰を落としじっくり舞われる「六調子神楽」


明治政府から神職の演舞が禁止されたことにより、神楽は神職から氏子(民間)に受け継がれました。

その中で神楽改正の影響を受けたものが「八調子」、影響を受けなかったものが「六調子」と呼ばれています。


石見神楽 激しい立ち回りが特徴的な「八調子神楽」


八調子神楽は早いテンポでスピード感があり、現在では多くの団体が受け継いでいます。

六調子神楽は農作業での動作が「型」となっており、腰を落としゆっくりと重厚に舞うのが特徴で、石見神楽の原型として大元神楽ともいわれ、文化的に大変貴重なものです。


「原型」と「進化」、2つのベクトルを持つ石見神楽は、初心者には間口が広く、通にとっては奥の深い、探求心の絶えない伝統芸能です。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 ~ なつかしの国 石見 ~(2)石見神楽とは “石見人が世界に誇る宝”~六調子と八調子~


https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7788556



石見神楽 「儀式舞」と「能舞」


石見神楽 演目紹介

石見神楽の演目には「儀式舞」と呼ばれる神様へ祈りを捧げる舞いと、「能舞」と呼ばれる豪華な衣裳や面を付けた神や鬼が神話に沿ったストーリーを舞うものと2種類あります。
まず、「能舞」から人気演目をピップアップしてご紹介いたします。


石見神楽 菅原道真 知性高い面相の「天神」


能舞とは

最も石見神楽で知名度の高い様式の神楽です。スサノオノミコトが八岐大蛇を退治する演目「大蛇」や、2神2鬼が激しく戦う「塵輪(じんりん)」など、実際に神や鬼に扮装し神話の流れに沿って舞うものを能舞といいます。その種類は多種多様で、いにしえより祭りに夜に庶民の娯楽として舞い継がれており、どれ一つ同じ構成のない考え抜かれたストーリーとなっています。


「儀式舞」


石見神楽 舞座を祓い清める「塩祓」


神々に捧げる演目「儀式舞」

石見神楽はお祭りの神事の一部を担います。神々に祈りを捧げる「鈴神楽」「塩祓」「神迎」などがそうで、舞座を祓い清め、これから行われる楽しい石見神楽の演目の数々を神様に楽しんで頂くために、神々を迎える舞いを「儀式舞」といいます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020  ~ なつかしの国 石見 ~(3)石見神楽 「儀式舞」と「能舞」人気16演目とは!


https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7802000



石見神楽

本号ご紹介の演目は「恵比須」です


恵比寿の正式なストーリーは、旅人が美保神社を訪ね、恵比須である事代主命のいわれを宮司より聞く。旅人の幻想の中で恵比須が鯛釣りをする姿を見るという、とっても風流な神楽です。


石見神楽 見事鯛を吊り上げ大喝采


この神楽は、出雲の国 美保神社の御祭神、恵比須様が磯辺で釣りをしている御姿を舞ったものです。 にこやかに鯛を釣る恵比須様の様子が面白おかしく、心の和む演目。


恵比須様は昔から漁業、商業の神様として崇拝されています。
舞の中でのコミカルな動きで恵比須様は子ども達にも大人気!


美保神社(みほじんじゃ)とは

三穂姫命(みほつひめのみこと)と事代主命(えびす様)の二神を祀る、
比翼大社造りの国の重要文化財


国重要文化財 美保神社本殿


『出雲国風土記』や『延喜式』にみえる古社の本殿で、二棟の前室付大社造を相の間で連結し、正面全体に階隠の庇を設けた比翼大社造の特異な形式をもつ。

この地方に分布する同形式の遺構のうち、最も規模が大きくて建立年代が古く、大社造の変形として重要な位置を占めています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020  ~ なつかしの国 石見 ~(4)石見神楽 恵比須と美保神社


https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7809163



石見神楽

本号ご紹介の演目は「塵輪(じんりん)」


14代天皇、帯中津日子(たらしなかつひこ)が、日本へ攻め入る悪鬼塵輪を迎え撃つ神楽。
2神2鬼でのスピーディーで迫力ある決戦が見所で、石見神楽の中でも人気の高い演目であります。


石見神楽 塵輪(じんりん) 2神2鬼の決戦


八調子では神2人・鬼2人が対決する、鬼舞の代表的な神楽です。

第14代天皇・帯中津日子(たらしなかつひこ)が、異国より日本に攻め来る数万騎の軍勢を迎え撃ちます。その中に身に翼があり黒雲で飛びまわる「塵輪」(じんりん)という悪鬼が、人々を害していると聞き、天皇自ら天の鹿児弓(あめのかごゆみ)、天の羽々矢(あめのはばや)をもってこれを退治します。


参考

無形民俗文化財

大元舞(おおもとまい)とは



大元神楽 演目 綱貫

これは島根県邑智郡、那賀郡、江津市に伝承されている神楽で、邑智郡を中心とする十数箇所にある大元神社の式年祭(五年あるいは七年、若しくは十三年に一度)に行われます。現在は氏神の拝殿か民家の座敷を斎場として舞われるが、大元神は普段は藪や森などに小祠として祭られていて、もとは祭礼には仮設の神楽殿を設けて行われました。


採り物舞、神能などが組み合わされ、四十数番もの曲目があります。もと神職が舞ったが、明治以後の神職演舞禁止令により、主として採り物舞は神職が舞い、神能はその土地の人たちが舞うようになりました。


田楽系の神楽である「大元神楽」は、石見地方において室町時代後期には既に演じられていたと言われています。所により今でも藁蛇による託宣を得ており、貴重なものであります。


神職の舞には「太鼓口」「潮抜」「剣舞」「御座」「天蓋引」「綱貫」「御綱祭」の曲があり、神能には「岩戸」「五竜王」「塵輪」「八咫」「刹面」「弓八幡」などがあります。 


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020  ~ なつかしの国 石見 ~(5)石見神楽「塵輪(じんりん)」


https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7995383




神在月に神々が集まる聖地で神と人との神秘的な伝統の美しさの体験を

         ユネスコ無形文化遺産

            佐陀神能


ユネスコ無形文化遺産リスト登録された佐陀神能は、令和3年に十周年を迎えました。


佐陀神能(松江市)・高千穂神楽(宮崎県)・久見神楽(島根県隠岐の島町)・大土地神楽(島根県出雲市)の4つの神楽団体が、各地に伝わる御神体出現の舞を、令和元年度からの改修工事を終えた舞殿で奉納します。


佐陀神能とは島根県松江市にある佐太神社で、祭礼の中でも重儀とされる「御座替祭」(ござがえさい)に合わせて執り行われる「七座神事」「式三番」「神能」の三つの神事舞を総称したものです。


この形式での神事舞は能方式を取り入れた特徴的な神楽で、古くから行われていたことから、「出雲流神楽の源流」と呼ばれ。全国各地に伝わる里神楽に大きな影響を与えたと言われています。


今回披露される演目の一つ「大社」は、佐太神社の縁起を題材にしたものであり、神社の縁起についてや、神無月ではなく神在月と呼ぶことの由来などを見ることのできる演目となっております。


古くから日本人は想像力を駆使して、神話の世界を楽しんできました。
神楽という演目を通し、神々の物語を重ね合わせ、神在月に神様が集まるという聖地で、身も心も清められていく神秘的なひとときをぜひご体感ください。


一般社団法人 松江観光協会では、癒しと笑顔を提供する"新しい宿泊観光"を楽しんでいただくため、これからもたくさん“いいもの”を発信していきます。


■■佐陀神能の世界へタイムスリップしてみませんか!?■■


佐陀神能は、約400年も続いていると言われている“神事芸能”です。
毎年9月24日、25日に行われる御座替祭(ござがえさい)という神事で奉納されており、神への祭礼の「七座」、祝言の「式三番」、神話劇の「神能」の3部からなっています。


特に「神能」は佐太神社の神官が、京より能を習い覚えて帰りその方式を取り入れ、従来の神楽を格調高いものに創り上げたと伝えられています。


神能の演目は当社の縁起を語る「大社(おおやしろ)」をはじめ十二段からなります。
笛や鼓の軽妙な音色に合わせて、あざやかな衣装を着て、舞手がゆったりと、時に大きく、切れの良い動きを見せ、観客は荘厳な神話の世界を堪能できます。


現在では神職と松江市内の有志による佐陀神能保存会によって伝承しており、9月24日、25日の佐太神社の御座替祭に舞うほか、近隣神社の秋のお祭りなどで奉納しています。


昭和51年国の重要無形民俗文化財に指定され、平成23年にユネスコの無形文化遺産登録されました。


【隠岐の島(島根県) 久見神楽】


隠岐の島「久見神楽」


隠岐の神楽は大別すると島前の島前神楽(どうぜんかぐら)、島後の周吉神楽(すきかぐら)、穏地神楽(おちかぐら)があります。島後久見神楽は穏地神楽に含まれ、毎年伊勢命神社の祭礼で、夜半から翌朝の夜明けまで同神社の神楽殿で奉納されます。


隠岐島には古来、特定の神社に属さず、祈祷のための神楽を専業とする社家と呼ばれる神楽師がおり、島後には十三家の社家筋が神楽を伝えましたが、明治の神紙行政の改革でこれらが廃止されました。


明治十三年から久見部落の有志が活動を始め、明治二十二年に島後の西端、都万村油井(現隠岐の島町油井)の社家であった和田家から伝受したのが始まりです。佐陀神能の影響の下に独特の発展を遂げた島後神楽の古態を残し、現在ではその代表的なものとされています。


昭和三十七年(一九六二年)に島根県の無形民俗文化財とされ、昭和五十三年(一九七八年)
一月三十一日に国の選択無形民俗文化財となっています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 「400年前の歴史の神話世界へ」タイムスリップ!!佐陀神能ユネスコ無形文化遺産登録十周年記念 10/2(日)特別公演開催


https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37680126/



なつかしの石見の国 交流三回廊とは

豊かな自然の残る石見地方


医光寺【益田市染羽町】

雪舟の水墨画の世界が広がる庭園

雪舟が住職として招かれたお寺として知られている医光寺「雪舟庭園」


国の指定を受けている「雪舟庭園」は鶴を形どった池の中に亀島が浮かんで見えます。春にはしだれ桜や一面のつつじ、夏は緑が涼しく、秋には大きな楓が赤く染まり、冬は真っ白な雪。と、四季折々の違った表情を味わうことができます。


境内には雪舟を火葬にしたという灰塚やこの地で長く続いた領主「益田宗兼」のお墓のほか、羅漢像など歴史を感じる彫刻も。また、本堂には「願い文」が置いてあり、七夕と大晦日にご供養されます。勇壮豪快な作りの総門は県の文化財に指定されています。


石見の国からメッセージ

海の道

島根県と広島・山口県の県境に連なる山岳地帯に沿って、 東西に山里が並ぶが、その山里には四季それぞれに特色ある 自然景観と、住民の生活が展開されています。

その特色を広くアピールし、来訪者との交流を進めたい。


温の道

石見地方の山間・中央部にある生活圏を、東西に繋ぐ道。

そこには永い歴史のなかで、自然と一体になった人々の暮らしがあり、各地に散らばる温泉の温かみを、人間の温情になぞらえ温の道として、来訪者と暖かい交流を図りたい。


四季の道

日本海に沿って東西に連なる石見の街々は、古くから海による交流を見てきた歴史があります。それが時代の変遷で大きく影響してきましたが、海の恵みは捨てがたい。今こそ日本海を見直し、広く 人々との交流を深めたいと熱望しています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 春爛漫!桜巡礼 島根~石見へ~【なつかしの石見の国】


https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8178111



現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、弥生時代(紀元前4~500年から紀元後300年くらい)は
日本海側が『表日本』であり、日本海を通じて様々な交流が行われていました。


石州赤瓦

創造・再生・継承のまちづくり


石州「石橋の向こうには赤瓦の町並みが広がっています。」


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-8 TOKIO 2020世界遺産 石見銀山【石州瓦物語】~リバイバル"Revival"~(Ⅳ)


https://tokyo2020-8.themedia.jp/posts/52737389



伊賀は能楽の祖「観阿弥」の故郷

伊賀の国の一宮「敢國神社(あえくにじんじゃ)」

 

伊賀市「敢國神社」大鳥居 


敢國神社の御由緒

古来伊賀の国の一宮として、当国の人々の総鎮守大氏神として、仰ぎまつってその霊徳に浴してまいりました。 創建年代は658年ですが、貞観の頃には神階五位を授けられ延喜の制には大社に列せられました。また延長年間には朝廷より社殿が修造せしめられ、南北朝時代には後村上天皇が行幸ましまして、数日間参籠あらせられ、社領の御加増もありました。徳川時代には藩主藤堂家の崇敬厚く、社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興などが行われました。明治4年5月国幣中社に列せられ今日に至っております。


敢國神社の略史

敢國神社は今から1300年以上前に創建されました。くわしくは、7世紀の中期658年に創建と敢國神社には伝わっています。創建当時は大彦命(おおひこみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神で敢國神社が創建されました。 創建以前のお話になりますが、当社の主神である大彦命は、350年頃第8代孝元天皇の長子として大和の国に生まれ、大和朝廷創建期の武人と云われています。



又、その子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸・東海を征討する役目を負われ「四道将軍」のお一人として第10代崇神(すじん)天皇の詔により日本の東目の攻略を果たされた後、大彦命率いる一族は伊賀の国にお住みになり、その子孫は伊賀の国中広がっていきました。伊賀の国の阿拝(あえ)郡(現在の阿山郡は阿拝郡と山田郡が合併してできたもの)を中心に居住した為、阿拝氏を名乗るようになり、後に敢・阿閉・阿部・安倍と呼ばれるようになりました。「あえ」とは、「あべ」の原音であり、あべ姓の総祖神でもあると共に伊賀にお住まいの方の祖神でもあります。


又、古代伊賀地方には外来民族である秦(はた)族が伊賀地方に住んでおり彼らが信仰する神が当社の配神(はいしん)である少彦名命でありました。当時は現在の南宮山山頂付近にお祀りしていましたが、神社創建時には南宮山より現在地に遷してお祀りしています。このことから伊賀にお住みの方々はこの二神の混血の民族であると言っても過言ではないでしょう。


創建後、南宮山の社殿が山の下に遷された跡地に新しい神社の創建に当たっては当時の伊賀の有力な人達の頭を悩ましたことであろうと思われます。結局、美濃の国(現在の岐阜県)南宮大社の御祭神である金山比咩命(かなやまひめのみこと)を旧少彦名命の跡地に勧請しました。おそらくその頃南宮山(なんぐうさん)という名がついたのではないかと推測されます。



その南宮山の金山比咩命が、敢國神社の本殿に合祀されたのは創建時より319年後の977年のことと記載されています。


ある日突然金山比咩命の社殿が激しい音をたててゆれ、止むと同時に社殿前の御神木の幹に、虫食いの跡が文字となって現れ「興阿倍久爾神同殿」と言う8文字の漢字でした。神官の報告を受けた当時の伊香守高則は、早々主家の藤原兼家に報告、直ちに御神慮に従って金山比咩命の遷座合祀が執り行われました。こうして当神社は三神をもって敢國神社・敢國津大神(あえくにつおおかみ)となって現在に至っております。


伊賀は能楽の祖「観阿弥」の故郷 上野城薪能


少彦名命を信仰する外来民族秦族は、色々な技術文化を日本に伝えています。たとえば伊賀の組紐伊賀焼・酒造等があります。又、芸能にもみられ、鎌倉時代に盛んになった能楽の祖と言われる観阿称は、伊賀の出身地であります。


獅子神楽の原型 敢國神社に伝わる獅子神楽(三重県無形文化財指定)


能楽が武士階級の娯楽に発展し、又、同じ頃に獅子神楽が庶民階級に発達していきました。当神社に伝わる獅子神楽(三重県無形文化財指定)もこの時期にできたものであろうと言われています。現在伊賀地方の各町で「町おこし」として執り行われている獅子神楽の原型とも言われ、伊勢下神楽に多大な影響を及ぼしたとも言われています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「伊賀一宮 敢國神社 1300年以上前『四道将軍』から始まり 観阿弥~服部半蔵~松尾芭蕉 そして神の社は未来を開く」


https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2331520



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


ZIPANG-9 TOKIO 2020

日本の精神文化と国土の美しさについて再発見 その1. 全世界との情報の共有化 その2. 偏り、格差のないローカリティの尊重! その3. 美しきものへの学び、尊敬、関心を高める教育と推進

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